(11)からつづく
☆
「あ〜っ、きれいかぁ〜!!」
店開きしたばかりの小間物屋・藤井薩摩屋の前まで来ると、千里姫はハタと、
立ち止まってしまいました。さまざまな櫛や簪(かんざし)、端切れ、南蛮渡
りのギヤマン細工に江戸切り子、江戸硝子風鈴、ビードロなど、女の子が喜び
そうなものが、ところ狭しといっぱいです。
「うち、ここでぇ、道草すっと〜!」
「ひ、姫様、拙者は、もう腹がひもじゅうて、死にそうでござりまする」
木曽忍者が、うしろからグチりました。
「もう、馬酔いは治ったとねぇ?」
「はぁっ、もうすっかり…。ここはひとつ、朝餉のあとに見物されては…?」
「わ〜い、ウィンドウショッピングば、うち大好きだけんねぇ! 渋谷や新宿
で、よ〜くやっとっとぉ〜」
「……ひ、姫様も、人の話を聞かれん…」
千里姫は、どんどん店の奥へと入っていきました。
「ねえねえ、これ、うちに似合(にお)うとるぅ??」
店の主人に勧められるまま、簪をいくつも髪に挿してみせます。
「いえいえ、千里姫殿。拙者には、こちらがよいかと…。しかし、美しいお髪
(ぐし)でござるなぁ」
忍者姿の小林弘之進が、ちゃっかり千里姫の横へ腰掛けて、姫の髪をさかんに
いじっています。
「いやいや、姫様。こっちのほうが似合ってまさぁ!」
「あっしも、そう思いやす」
靖吉と正も、負けずに簪を選んでいます。
「こ、こら、寄ってたかって姫君に触るな、無礼者! 姫様には、拙者の選ん
だこれが一番でござる!」
木曽忍者も柄に合わず、簪を2〜3本、千里姫の傍に並べてみせます。
「♪決〜め〜た〜、沖縄の海にし〜よ〜。この琉球珊瑚の簪にすっと〜。…あ
れ? 1991年だと、まだこげな歌はできとらん。うっふふ、うち、舞い上
がっとるけん、カンベンしよらんねぇ〜」
千里姫は、髷の根に、真っ赤な珊瑚玉の簪を1本、カッシと挿しました。
「これ、いくらすっとねぇ?」
「はい、最近は奢侈禁止のお触れで、珊瑚玉が品薄でございます。したがいま
して、それは二両五分でございます」
主人の薩摩屋圭之介が答えます。
「うち、おカネ持っとらんけん、誰か払(はろ)うてくれんね〜?」
一同、シーーーーン…となってしまいました。
「誰もおカネ、なかとねぇ? 木曽忍者さん??」
「…ははぁっ、せ、拙者は、二十両…ほど、金子(きんす)の、持ち合わせが、
ございますが…」
「ほれほれ、ちゃんと持っとっとねぇ」
「…し、しかし、これはお屋敷からいただく、拙者の今月分の全給金で…」
「ごちゃごちゃ言わんと、うちの古今東西ん歌ば、あたの目の前で唄って踊っ
てぇ、ただで聴かせてあげるけ〜ん」
「…ミ、ミニクロウタのお姿で…でござりまするか?」
「ぬしも、たいっぎゃエーベックスたい!」
「は、ははぁ…」
千里姫は、もうどこから見ても小股の切れ上がった、江戸の粋な町娘です。
☆
「朝ご飯が、食べた〜い!」
両国橋の西詰めで、ご機嫌な千里姫は叫びました。道行く人が、この奇妙奇天
烈な5人組を、指差しながら通ります。
「姫様は、なにを食べてぇんでございやす?」
靖吉親分が、両国橋の欄干に手をつきながら訊きました。ときに、大川の両岸
は、桜が満開に咲き誇っています。
「うち、ずーーっとお魚ばっかだったけん、久しぶりに肉が食べたかぁ」
「じゃあ、獣肉(ももんじ)屋へめえりやしょう」
「馬刺しがよかぁ!」
「馬刺しでもなんでも、ごぜえますよぅ」
さて、江戸時代は動物の肉を食べなかった…というのは、まったくの作り話で
す。両国、本所、深川、浅草、日本橋…と随所に、獣肉(ももんじ)屋すなわ
ち肉料理屋がありました。
そこでは、馬や豚をはじめ、猪、青鹿(あおじし=カモシカ)、鹿、うさぎ、
狸、鯨などが食されていました。食べなかったのは、運搬用や農耕用に貴重な
牛ぐらいのものです。(しかし、九州の一部では食べられていました)
もちろん、鶏や鴨、雀、鶫、鴫などの鳥類も食べています。そして、馬肉を初
めて刺し身で食べたのも、濃口醤油(=したじ)が発達した、江戸が最初です。
余談ですが、江戸の刺し身料理、寿司、焼き鳥、肉料理、天ぷら、混ぜ飯、丼
物、鍋物、重物、蕎麦料理などに見合う調味料、つまり“紫(したじ)”と呼
ばれる濃口醤油が発明されたのも、かなり早くからのことです。
この濃口醤油の発明が、江戸ならではの粋な食文化を、大きく花開かせる要因
となりました。浅草海苔を濃口醤油で煮込んだものを“江戸紫”と呼びますが、
本来“江戸紫”とは濃口醤油のことです。
この肉料理と、オリジナル調味料との長い伝統が、明治維新後になって東京名
物となる、浅草の牛鍋やすき焼き、日本橋の鴨料理、両国の猪料理、ついでに、
深川や銀座の天ぷら料理、浜町や深川のおでん、また東京各所の寿司や刺し身
料理へと受け継がれていきました。
今でも、たった1軒だけですが、両国橋の東詰めに、江戸時代からの“ももん
じ屋”は、そのまま営業をつづけています。