ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(9)


(8)からつづく

●五の章


ここは、江戸市中から二十町ほど外れた、東海道の品川宿に近い、まだところ
どころ、うっそうとした森や畑が目立つ、渋谷川沿いの麻布(まぶ)あたり。
渋谷川の支流にあたる小川端、朽ち果てた大きな水車小屋の中に、3人の男た
ちが顔をそろえていました。

「おれぁよう、どうも腑に落ちねぇ。姫様がかどわかされたってぇのによう、
屋敷の様子は平然としてやがったぜ」
三川藩上屋敷を見張ってきた、呉谷の縄蔵が小クビをかしげました。
「おれもそう思うぜ。屋敷内の動きはいつも通りだしよう、夕べは中までへえ
って確かめてみたが、警護が厳重ってほどでもなかったぃ。いつも通りの、屋
敷の様子…」
昨夜、矢文を射込んだ、縄蔵の兄である呉谷の盛蔵も同調しました。
「親分、こりゃいってい…??」
「…まあ、もう少し様子を見ようじゃねぇか。わざと平気を装ってるのかもし
れねぇし、こいつぁおれたちをあぶり出す、ワナかもしれねぇ…」
親分の冨家の英吉は、むんずと腕を組みました。

そうです。この3人は(いえ正確にはもう2人の計5人いるのですが)、いま
江戸市中を騒がせている、鬼面党一味なのです。般若(はんにゃ)面をかぶっ
て、富豪や大名屋敷を次々と襲い、奪った財宝のうち半分を貧民の軒先へ投げ
込み、あとの半分を芝居小屋や掛け小屋の、ひいきの役者や女芸人、戯作者な
どへと貢いで歩く、妙ちくりんな盗賊一味だったのです。
では、なぜ鬼面党のような白浪(しらなみ=泥棒)が登場したのか、その時代
背景を考えてみましょう。

江戸の寛政年間、すなわち老中・松平定信が実権を掌握した1790年前後、
いわゆる“寛政の改革”と呼ばれる財政立て直し政策は、細かく江戸庶民の生
活形態をも、変えようとしていました。
質素倹約を旨とし、八代将軍吉宗の“享保の改革”以来の、幕府財政を根底か
ら再建しようとする動きは、さまざまなカタチで庶民への贅沢禁止、娯楽の禁
止、はたまた派手な身なりや奢侈な生活、風俗の禁止など、ほとんど八つ当た
り的でヒステリックな禁令の発布となって、当時世界一の130万都市・江戸
の街を切迫していきました。
それによって、もっとも打撃を受けたのが、実は一般庶民の生活であり、楽し
み=娯楽の分野だったのです。

少し前の、田沼意次時代に染み付いてしまったワイロ政治や、情通人事は一掃
されたものの、その大きなツケを幕府財政の大幅な倹約ではなく、江戸市民か
らの絞り取り…というカタチで解決しようとしたのです。
今風に言いますと、行政の財政的な破綻・失敗の責任を、すべて国民に転化し
て、血税で埋め合わせをしよう…という発想。しかも、押し付けられた質素倹
約の令は、庶民生活のほんの小さな楽しみまで奪っていきました。

歌舞伎をはじめとする芝居小屋や、掛け小屋、見世物小屋は、ことごとく役人
の手入れを受け、贅沢な衣装やきらびやかな舞台装置などは、すべて没収・御
法度。黄表紙や合本、御伽草子、狂歌、川柳といった戯作や歌は、その多くが
貸し本屋から姿を消し、浮世絵も役者絵や女絵は原則的に禁止され、いわゆる
色物と呼ばれる女芸人のお色気芸も、見つかり次第、手鎖で八丈へ遠島になる
…というような、殺伐とした時代を迎えようとしていました。
江戸随一の繁華街、両国広小路をはじめ、浅草の門前町や深川・本所・吉原の
色町でさえ人通りがまばらになるほどの、幕府による強烈な締めつけが行われ
たのです。

その反面、幕府の松平定信の人脈姻戚筋周辺は、逆に利権をあさる者たちであ
ふれ返り、田沼時代とまではいかぬとも、汚職や贈収賄のウワサが絶えません
でした。富を持つ者はますます富み、持たざるものはますます窮す…という世
相は、必然的に江戸町民の大きな反感を産み出すことになります。

そこへ登場したのが、義賊・鬼面党でした。人を殺さず怪我させず、やすやす
と千両箱をかっさらう賊徒に庶民は狂喜し、若年寄方・火付盗賊改や南北町奉
行所の、必死の探索にもかかわらずお縄にならぬのは、庶民の声なき声を背に
大江戸八百八町の大海へ、やすやすと逃げ込んでしまうからなのでした。

「よし、期限の三月十日まであと五日。それまで、三川藩の上屋敷の見張りを
欠かすんじゃねえぞ」
賊徒の張本・冨家の英吉はそう言うと、ポンと煙管の煙草を叩き落としました。

「…これ、誰かある? ねえ、父上と母上には、いつ逢えるのですか?」
そのとき、水車小屋の2階の梯子段口に、千里姫が顔を出しました。もちろん、
こちらは大川の桜見物で行方知れずになった、ホンモノの千里姫。
「もうすぐですぜ、お姫様。いま少しの、ご辛抱を…」
冨家の英吉は、やさしい声で答えました。
「わらわは、ひもじいのじゃ。誰か、膳を持て」
「うるせいやい! いちいち指図をしやがって。さんざんいいもんを食ってき
やがって、少しゃ我慢しろってんでぃ。おれたち庶民は、食うもんも食わずに
稼いでんでぃ!」
呉谷の縄蔵が、気色ばんで叫びました。
「まあまあ、呉谷縄のぅ。そうそう、きついことを言うもんじゃない。お姫様
には、なんの罪とがもねえんだからよう」
冨家の英吉が、呉谷の弟をなだめます。
「わらわの着替えはどこ? きれいな着替えがほしいのです。もう二日も、同
じ物を着ているの。手や顔を洗う、お湯も用意してくだされ」
「はいはい、わかりやした。食べ物も着替えも、すぐにご用意いたしやしょう」

盗賊たちは、目のあらい木綿の襦袢に、同じく染めの悪い木綿織りの着物と、
いかにも安物らしい鯨帯を取り出しました。そんな身なりしか、用意してなか
ったのです。千里姫は、それでも洗いざらしの感触が懐かしくて、それを着込
みました。
「誰か、湯をくださりませ」
「へいへい。…熱いですぜぃ、気をつけておくんなさい」
呉谷の盛蔵が、鉄瓶に沸いた湯と、水を張った洗い桶に手拭いを手渡します。
「お姫様。その着物に、その髷ではおかしゅうございますよ。あっしが、身な
りに合うように、結い直して差し上げやしょう。ついでに、お髪(ぐし)を洗
って差し上げやす」
冨家の英吉はそう言うと、2階へ上がっていきました。英吉はもともと、京都
は西陣で、髪結い床を営んでいた経験があり、江戸へ出てきてからも神田に店
(たな)をかまえ、そこかしこの芝居小屋に出張(でば)って、役者の髪結い
仕事もこなしていました。

「おおい、千里姫様が、初ガツオを食べてぇそうだ」
二階の英吉から声がかかりました。
「どっちかひとっ走り、町で買ってきてくれねぇかい?」
「じょ、冗談じゃねえぜ、親分! 初ガツオは、いまどき三両は下らねぇ」
呉谷の縄吉が、またしても文句を言いました。
「いいから、買ってきてやんな。ほれ…」
と、兄の盛蔵が5両を手渡します。
「でえじな人質だ。なにかあったら、こちとらが困らぁね」
「…ったく、人質に初ガツオのご馳走だなんてぇ、聞いたこともねぇや!」
呉谷の縄蔵は、それでもぶつくさ言っていましたが、サッと小屋を駆け出ると
町の方へと飛んで行きました。

この呉谷という屋号で呼ばれる兄弟も、芝居小屋に関係している人たちでした。
両国広小路筋に大きな芝居小屋・音羽座を張る、五代目・市川団十郎一座の音
曲囃子方のかなめを、この呉谷兄弟が勤めていました。

五代目市川団十郎は、荒事が得意だった二代目や、幕末に登場する和事が得意
な名優七代目とは異なり、荒事和事をそつなくこなせる器用さがたたって、人
気はいまひとつでした。歌舞伎よりもむしろ、『吾妻曲狂歌文庫』など狂歌の
世界で、“花道つらね”という名をはせた役者だったのです。
それに、もともと五代目は身体が弱く、公演の途中で何度も休演を繰り返すの
で、“怠け者五代目”などという渾名でさえ呼ばれる始末。いきおい、贅沢や
奢侈の禁令とあいまって、小屋の囃子方もなかなか仕事にありつけず、ヒマを
持てあましているのが現状でした。

この水車小屋にはいない残りの一味、朝倉の武蔵丸と名和の一之助の2人も、
一座で音曲囃子方を勤めていました。鬼面党は、幕府の政策に不満を持つ、芝
居小屋の骨太たちが、老中首座の松平にひと泡吹かせてやろうと始めた、かな
り芝居がかった、いわば“義賊物語”なのです。

「これで、いかがでございやしょう。姫様」
「なんだか、頭が少し軽くなりました」
「とってもお似合いでござんすよ、お姫様」
「このような町方の身なりは、わらわは初めてじゃ」
「お気に入りやしたか?」
「わらわの召しよりは、たいへん着やすいのう」
「とても、きれえでごぜえますよう。もうちっと、襟足を出し胸元を開けなさ
ると、もう水もしたたるいい女ってぇやつでさぁ」
「ふふふ、そうかのう? …世話をかけました」
「いえいえ、あなた様はあっしらにとって、でぇじなお客さま。ご苦労は、決
しておかけしゃせんぜ。おっつけ、うめえカツオもとどくことでごぜぇましょ
う。そうそう、飯でも炊きやしょうねぃ」
「わらわは、楽しみじゃ」
「ついでに姫君様、今日は、水菓子もございやすよ」
「まあ、なんであろう?」
「この春、最後の、みかんでさぁ」
冨家の英吉はそう言うと、千里姫が脱いだ着物や髪から抜いた簪類を持って、
一階の土間へと下りてきました。

水菓子とは、フルーツのことです。今川焼きや煎餅、飴などを、ただの菓子と
言ったのに対し、甘い果物のことを、江戸時代は“水菓子”と呼びました。
当時、冬みかんの自然北限地は、相模国の二宮(神奈川県二宮町)でしたから、
3月(新暦の4月)にみかんを用意するということは、相当な散財を意味しま
す。つまり、冨家の英吉は千里姫に、ことのほか気を遣っている…ということ
になりますね。

「おい、呉谷盛のぅ。こいで、おめえの出したカツオ代にゃ、釣りがごまんと
来やがるぜぃ。…かなりの上物でぃ」
冨家の英吉から千里姫の持ち物を受け取ると、呉谷の盛蔵はそれらを売り飛ば
しに、さっそく町へと出かけていきました。

(10)へつづく