ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(6)

(5)からつづく



「どげんして、弦が4本しかなかね!?」
千里姫は、琵琶を手に、盛んに曲を弾こうとしています。
「♪君は#ファンキー・モンキー・ベイビー〜…。…だめたい! コードが押
さえられん。…なしてギターと同じに、6本なかねぇ!」
ベベンベンベンベンベン〜…
「ひ、姫様! なんという騒々しい音でございましょう。どうか、おやめくだ
さいませ! 野々は、気がおかしくなりそうで…」
「黙っとっと! …♪ねえ、だいてだいてだいてだいてだいて、早く〜、ああ、
だいてだいてだいてだいてだいて、強く〜…」
ベンベンベベンベベベベンベンベン〜…
「姫様! おやめくだされ! 野々は、耳がおかしくなりそう。それに、なん
てお下劣な歌でございましょう! お気が触れたとしか思えませぬ! 三川藩
六十万石の、姫君様ともあろうお方が…」
ベンベンベンベベベベンベベベン〜…

「…フゥ〜ッ、ねえ、野々しゃん。琵琶の音は、うちん曲にぜーんぜん合わん
けん、今度は三味線にすっとぉ〜」
「なな、なにを申されますやら! 三味線などと、下世話なものを姫様が手に
されて、いかがなさるのでございます!?」
「三味線の弦は、何本だったとねぇ?」
「そのようなこと、このわたくしめは存じません!」
「はっはっはっ、やっておるな、千里姫。三味(しゃみ)の弦は、その名のと
おり三本じゃ」
野々の背後に、三川の殿様が立っていました。
「ああ、三川のパパね。早よう、こっちへ来て座り」
千里姫は、いえほんとうは森高なのですが、この三川藩の殿様をたいそう気に
入ってしまいました。それは、薬研堀の大番屋から上屋敷へ戻った日、たいそ
うなご馳走やお菓子を食べさせてくれたからばかりではありません。なにかと
いうと、一緒に遊んでくれるし(昨日の夕方など、退屈していた千里姫と“ジ
ャンケンポンあっち向いてホイ”を、2時間以上も、いえ、一時<いっとき>
以上も付き合ってくれたのです)、それに千里姫の話を、なんでもニコニコし
ながら聞いてくれるからでした。
要するに、今風に言えば、とことん娘好きの、親バカパパ以外のなにものでも
ないのですけれど…ね。

「ねえ、パパ…じゃなかった父上、今度うち、犬が飼いたかねぇ」
「なになに、犬じゃと?」
「うん、プードルでも土佐犬でも、ハスキーでも、シェトランドでも、明治の
「なにを言っておる。犬なら、国元に五匹も飼っておるではないか?」
「…五匹も!?」
「忘れたのか? はっはっはっ、しょうのない奴じゃ」
「逢いたかぁ!」
「残念じゃが、次の参勤交代まで、あと半年残っておる」
「ほんなこつ、こん屋敷で飼いたかねぇ〜」
「…うむ、じゃあ今度、よい犬がいたら、貰ってきて上げようぞ」
「犬がダメなら、カナダのかわいか地リスでも、バッファローでもよかぁ〜」
父娘のやりとりを聞いていた野々が、端から口を出しました。
「なんじゃ?」
「怖れながら、姫君様をこれ以上、甘やかされてはなりませぬ!」
「まあまあ、よいではないか。たかが犬の一匹や二匹…」
「それでなくとも、ご縁談の少なくなりました今日この頃、これ以上、姫君の
お躾を、ゆるめられてはなりませぬ。ますますご縁が遠のくというもの…」
「ねえ、パパ…じゃなかった父上、野々しゃんはうちに、朝から晩までこげな
こつばっか言いよる。そいで、いつも昔は良かった〜ばっかねぇ」
「まあまあ、野々。多少のことは、見逃してやってはくれぬか?」
「殿、そのようなことを申されましても、これからの姫君の行く末を…」

野々がそこまで言ったとき、千里姫は急に琵琶を持ったまま、やおらスックと
立ち上がると、その琵琶を肩の上にかまえて、違い棚のほうへソーッと近づい
ていきます。
「…千里姫や、どうしたのじゃ?」
「…やっぱ、ま〜た出たとね」
「…なにがじゃ?」
「ゴキブリたい。ちっちゃな、ゴキブリの子供ね」
三川の殿様は、野々のほうへ向き直ります。
「ゴキブリとは、なんじゃ?」
「はい、どうやら油虫のことのようにございます。今年は暖かくなるのが早く
て、お屋敷内でもよく見かけております。今朝も姫君は、薙刀(なぎなた)を
振り回されて、ここから西の外れの、ご家来衆の部屋まで、追いかけられたの
でございます」
「ほほう、それは勇ましいのう…」
「感心されている場合ではございませぬ! 勘定方の芳賀浩助殿が、<姫様乱
組頭の北村殿と上岡殿が、縁側からころげ落ちて、顔と腕を怪我されたのでご
ざいます」
「…と、殿! このままでまいりますと、姫君はお屋敷の外にまで、毎日のよ
うにお遊びに出られるようになりかねませぬ。そうなってからでは手後れ。夜
遊びの姫君…などという風評でも、世間に流れましてからでは…」
「野々、それはちと思いすごしじゃ。大丈夫じゃ、大丈夫じゃ。#うちにかぎ
そのとき、二人のうしろでグァッシャ〜ンという大きな音がしました。驚いて
振り返ってみると、千里姫が違い棚から床の間にかけて、盛んに琵琶を叩きつ
けているのです。
「#ザ・バスターズ・ブルースを唄(うと)うとる、うちん部屋に出るとはい
い度胸たい! 覚悟決めんと、いかんよいかんよ!」
「ひ、姫様! お待ちくだされ。お静まりくだされ!」
「ほれほれ、野々のうしろへ廻っとっと! 待て〜っ!」
「ひ、姫様ぁ〜!! ひ〜〜〜っ!」
千里姫は野々を突き飛ばすと、障子を開けて廊下まで追いかけていきました。

「まあまあ、なんの騒ぎでございまするか?」
ボロボロに壊れた家老の琵琶を振りかざして、廊下を走っていく千里姫を見送
「奥方様ぁ〜、聞いてくださりませぇ〜〜!」
野々は、泣きながら奥方にしがみつきました。
「これこれ野々、いかがいたしたのじゃ? これ、申してみい。そちが、それ
ほど泣くのは、よほどのことであろう」
野々は奥方の膝に顔を押し当てたまま、シクシク泣いています。
「…いや、姫がのう、油虫を退治しておるのじゃ」
「油虫を? …それで、どうして野々が泣いているのです?」
「なになに、千里姫が以前にも増して、野々の言うことをきかなくなったのじ
ゃ。わしは、元気な姫を見るのが、いちばんの楽しみなのじゃがのう…」
「そうでしたか…。さあ、野々、もうわかったから顔をお上げ。わたくしから
「……奥方様〜」
それはそれは、辛うごいました」
三川の殿様は、奥方の顔をしげしげと見つめました。
れなのに、お屋敷に閉じ込められて、朝から晩まで殿のお世話と、明けても暮
れても、お役向きのお手伝いばかり…」
「そ、そのようなことを聞くのは、わしは初めてじゃぞ…」
「ええ、こんなことをお話するのは、わたくしも初めてでございます。ですか
ら、せめて千里には、のびのびと育ってもらいたい、そう念じてこれまで育て
てまいりました。少しぐらいお転婆でも、嫁ぐのが遅れても、好きなことをさ
せてやろうと…」
「…そうか、…そうであったか。…いや、そちにも苦労をかけたのう。…千里
はあのとおり、のびのびと育っておるわ。はっはっはっ」
「そうでございますねえ」
「そちも、これから藩邸内で、好きなことをしてのびのびするがよい」
「ところで、阿弓。姫の部屋に何用じゃ?」
「…あ、そうでございました。千里が江戸市中から持ち帰った、ミニクロウタ
というのは、どこにあるのでござりましょう?」
「ミニクロウタを、どうするのじゃ?」
「いえ、わたくしも少しは好きなことを、させていただこうと思いまして…」
「ミニクロウタなら、それ、向こうの部屋の衣紋かけにあるが…」
「左様でございますか。江戸市中で、今どき流行っておるものでしたら、わた
くしも一着、同じものを仕立てて、屋敷内ででもさっそく着てみようかと…」
「そ、そちも、ミニクロウタを着る…というのか?」
「はい。千里が申しますには、踊りも教えてくれるとか…」
「…そ、それは楽しみじゃ。あっはっはっはっ。さっそく家老にも、知らせて
やらんといかんのう」
「西村殿に?」
「そうじゃ。家老もミニクロウタのことを話してやったら、たいそう興味を示
しておったぞ。はっはっはっ」

奥方様の膝に突っ伏していた野々が、ズルズルズルッと崩れ落ちました。
「…こ、この親にしてこの子あり…だわ。この野々が、いかにお世話をしよう
「なにか申しましたか? 野々?」
「……い、いいえ」

(7)へつづく