ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(31)


(30)からつづく

●十四の章


翌朝早くから、野々のいぬ間に、千里姫の部屋の前庭では、昨夜の矢文の件で
会議が開かれていました。

「それがしには、なにがなにやら、ちんぷんかんぷんでござりまする」
同心の渡部が、十手で頭をコンコン叩きながら嘆息しました。
「だから、おぬしも飲み込みが悪いのう。千里姫様は、実は二人おられてだな
ぁ、拙者は和歌を詠まれる千里姫様よりも、小唄を唄われるこちらの千里姫様
をお守りするほうが、楽しいのだ」
「じゃあ、和歌を詠まれる千里姫様は、いまどちらに??」
「さすれば、さっきから申しておるではないか。…本物の姫君様は、おそらく
矢文にある通り、鬼面党のかどわかしに遭われて、今ごろ江戸市中のどこかに
監禁されておられるのだ」
「すると、こちらの千里姫様は、影武者ならぬ影姫…というわけでござるか?」
「いや、そうではない。拙者は、この千里姫様こそ、拙者の理想の千里姫様で
あらせられる…そう思うておるのだ!」
「…はて、ということは、千里姫様はもともと双子であらせられるのでござり
ますか?」
「そ、そうではない! あくまでも、拙者の理想の話…」

「ねえねえ、そげなこつはどーでもよかね。そいより、ほんとの千里姫様を、
どぎゃんしてこん広か江戸で見つけよるか、早う相談ばせんといかんよ」
縁側に腰掛けた千里姫が、足をブラブラさせながら言いました。
「…御意!」
「ばってん、なんの手がかりもなかねぇ〜…」
「あの町方の、なんとか申す岡っ引が、せっかく手がかりをつかみながら、み
すみす逃がしてしまうのが悪いのでござりまする」
「木曽忍者殿、その岡っ引の話は、初耳でござる。いったい、どこを縄張りに
するなんという岡っ引でござるか?」
「ええと…、なんと申したかなぁ…」
「田代の靖吉親分と、正しゃんたい」
「な、なんとおおせられます!? た、田代の靖吉と正が、この一件に噛んで
いるのでござりまするか!?」
「そうたい。もうそろそろ、ここに来よっとねぇ」
「や、靖吉も正も、拙者の手の者でござりまする! あやつ、拙者になにも報
告しないで、コソコソ姫君様とよろしくやっておったのでござりますか!?」
「そぎゃんこつ言うても、渡部しゃんは、おとといの越後のお煎餅屋しゃんか
ら、じぇーんじぇんお役所に戻っとらんじゃなかね?」
「…そ、それも、そうでござりました」
「そげんこつで、お役目ばちゃんと勤まりよっとね?」
「な、なにやら姫君様は、与力の勝村様のようでござりまするな…」

そのとき、お屋敷の前で、魚屋の呼び声が聞こえました。
「あ〜、魚屋しゃん魚屋しゃん! ねえねえ、早(はよ)う、誰か呼んできて
くれんねぇ〜」
「突然、どうなされたのでござります?」
「うち、イワシのみりん干しが食べたかぁ!」
木曽忍者が、急いで魚屋を呼びに行きました。
「渡部しゃんには、鬼面党の資料ばお役所で、コッソリ探してほしかねぇ」
「そ、それはいいのですが、しかし、ほとんどきゃつらのことは、なにもわか
っておらぬのが現状でござりまして…。一味の首領が、どうやら京都のほうの
出らしいことぐらいしか…」

両桶をかついだ魚屋が、信じられない顔で、おずおずと庭へ入ってきました。
「木曽忍者さんは、うちんお風呂とトイレがちゃんと建っとるかどうか、日本
橋川へ行って見てきてほしかねぇ」
「やはり、今夜も屋形船に、お泊りでござりまするか?」
「ここにいても、なんも解決せんけん」
「ははぁっ、心得ました」
「…あっ! あいは、苗木屋しゃんの声じゃなかねぇ。うち、花が欲しかぁ!」
「今度は、拙者が…」
同心渡部が、苗木屋を呼びに行きました。
「そんあと、木曽忍者さんは、あん矢の出所を調べよっとねぇ」
「昨夜、射込まれた矢文の矢でござりますな?」
「そうたい。あん羽根ば、たいっぎゃきれいだったけん、どこぞで使いよる矢
か調べてみよっとぉ」
同心渡部が、がたがた震えている苗木屋を連れて戻りました。

「しかし、姫君様は急になにやら、探索心得がお得意になられたようでござり
ますなぁ。いえ、拙者、先ほどから感服しておりまする」
木曽忍者が、懐から矢羽根を出して確認しました。
「こげなこつ、007でなくても、誰でも思いつきよる」
「…して、拙者は奉行所で調べたあとは…?」
「渡部しゃんは、そんあと……、あっ! ちょっと、あいはお豆腐屋しゃんに
納豆屋しゃんじゃなかねぇ! 両方、食べたかぁ!」
今度は木曽忍者が、藩邸前の往来へ呼びに行きました。
「渡部しゃんは、そんあと、街の鋳掛け屋ば、洗わんといかん」
「その、逃げた男の風体でござりまするな?」
「そうたい。ほんに鋳掛け屋かもしれん。そん男が残していきよった道具ば、
靖吉親分の大番屋にあるらしいけん、確かめてみんしゃい」
「ははぁっ、心得ましてござりまする」
豆腐屋に納豆屋が、茫然とした顔で呼ばれてきました。

「そいからぁ…、うちは髪結い床に寄ったあと、靖吉親分と正しゃんと一緒に、
豊川稲荷ばちょっと寄ってみるけん」
「ダ、ダメでござります! 靖吉と正だけでは、頼りなく存じまする!」
「大丈夫たい。そいに、こんお屋敷の人も助っ人で連れていくけん、心配なか
ね。…あっ! あん声は、昨日の飴屋しゃんじゃなかねぇ! ほんなこつ、今
日もまた、森高、舐めたかぁ〜」
「少々、お待ちを!」
渡部越後朗が、そそくさと木戸を通りぬけ、往来へと駆け出していきました。
「拙者と一緒の方が、姫君様、ご安心でござりまするぞ」
木曽忍者が、同心渡部の姿が見えなくなると小声で言いました。
「たいっぎゃ危なかぁ。…天井裏とお風呂ん窓ば、要注意だけ〜ん」
「…お、怖れ入りましてござりまする」
同心渡部が、飴屋の手を無理に引きながら戻りました。

「ほんでぇ今日の夕方、日本橋の屋形船に集まって、みんなで作戦会議たい」
「しかし、姫君様。この数日で、なんというご成長ぶりでござりましょうや。
まるで、殿のように、ご立派に采配をふるわれるとは…」
「だからぁ〜、こぎゃんこつ、インディージョーンズじゃなくても、誰でも思
いつきよることばっかねぇ。あたたちが、なんもせんだけたい」
「またまた、ご謙遜を…。しかし、かたじけのうござりまする」
「じぇ〜んじぇん、誰も褒めとらん!」
「拙者、姫君様は美味しいもののことの他は、なにも考えておられぬのかと存
じておりました」
「ぶ、無礼者のエーベックス者!」
「ははぁーーーっ!」

そこへ、田代の靖吉親分に下っ引の正が、大名屋敷特有の練塀の上から顔をの
ぞかせました。
「あ、おはよう! 早う、入ってきんしゃい」
「こりゃーこりゃー、渡部の旦那までおそろいで…」
勝手知ったる大名屋敷…のように、靖吉と正が庭へと入ってきました。
「…う〜〜〜ん、お豆腐は絹ごしにしようかなぁ、そいとも木綿ごしねぇ…?
あ〜〜ん、水戸納豆にしようかなぁ、渡良瀬納豆も名前がよかねぇ? …うち、
朝顔が好きだけん、朝顔ばあるだけもらいよっとぉ。ばってん、こん都忘れも
捨てがたかぁ。…今日は、タヌキにしようかなぁ、そいともモモンガーがよか
ねぇ? …アジの開きもよかねぇ。イワシのみりん干しばやめて、こっちにし
ようかなぁ…? ああ〜ん、たいっぎゃ迷いよるぅ…」
縁側の廊下に、ところ狭しと売り物が並べられています。

そこへ、身支度をととのえた野々が、廊下の端に姿を見せました。
野々は、譜代大名家の乳母養育係らしく、伴の女中を2名連れ、シャナリシャ
ナリとした威厳のある歩き方で、千里姫の朝のご機嫌をうかがいに、ゆっくり
とこちらへやってきます。今日こそは、和歌をたしなみ、琴をめでる姫君に戻
ってもらおうと、不退転の決意を秘めて…。
でも、千里姫の部屋の前庭に面した、縁側廊下の惨状を見ると、腰が抜けてヨ
タヨタっと、そこへ座り込んでしまいました。
「…ななな、なぜゆえに、魚屋や飴屋や苗木屋、それに豆腐屋、納豆屋風情ま
でが、ひひ、姫様のお部屋の前で、見世(みせ)を広げておるのじゃ!??」
「あっ、野々しゃん、おはよう! 夕べは洗濯ば手伝(てつど)うてくれて、
あんがとねぇ。たいっぎゃよう、乾いとっと〜」
「そそ、それに、町方の岡っ引まで…、なな、なぜゆえに、こ、このようなと
ころへ!? …ええい、狼藉者めら!!」
「ねえねえ、野々しゃん、こんイワシとアジと、どっちが新しかねぇ?」
「そそ、早々に、お屋敷内から立ち去れい!!」
「ねえ、野々しゃん、水戸納豆と渡良瀬納豆と、どっちが美味しかねぇ?」
「こ、こ、このお庭は、先代が庭作り名人の赤石正右衛門にお頼みして、よう
ようお作りなされた、湯島聖堂と神田明神の森をホリゾント、…い、いや借景
(しゃっけい)とする、天下に聞こえた名庭! 斜めフカンからの陽光を受け
れば、まことに麗しゅう輝くお庭なのじゃ! まま、町中の市場や、縁日の露
店ではござりませぬ!!」
「じぇ〜んじぇん、人ん話ば聞いとらん。……やっぱ、今日のキャンデーば、
モモンガーにすっとぉ」

(32)へつづく