ちかこ@目白・作

(2)からつづく

●二の章

「まだ、足りん。もう一杯とらんね」
「ま、まだ食べるのかい? 千里ちゃん、そいで二膳目でゃんしょう?」
「あー、ケチね〜! 靖吉親分はケチだって、今度の列島縦断コンサートのM
Cで、日本全国に言いふらしてやるけんね〜」
こうばしい香りに誘われて、千里が飛び込んだのは、大川名物の人形町の“う
なぎ飯屋”でした。ようやく田代の靖吉親分は、そこで追いついたのはいいの
ですが、とうとう食事をおごるはめになってしまったのです。

靖吉親分は、計算しました。
(どーやら、身なりからして、どっかの商家の娘って感じだぜ。それも化粧か
らすると、かなりの大店<おおだな>かもしれねえ。ちょっと頭がキ印らしい
が、なぁーに、このまま面倒みて無事送りとどけりゃ、お礼に金一封も出るっ
てもんでえ。いや、金一封とまではいかねえまでも、酒の一斗樽も寄こすかも
しれねえしよう)

「これ、浜松の養殖の鰻じゃなかね〜。天然物もんの蒲焼きたい。…たいっぎ
ゃ美味しかぁ!」
靖吉親分は、鰻飯(うなぎめし)を驚くほどよく食べるこの娘を、改めて頭の
先から爪先までジッと見つめました。
(それに、柳腰で小股の切れ上がったいい女じゃねーか。親切にすりゃーよう、
こいつはひょっとして…。へっへっへっ、な〜に、まだカミさんもいねえ、ひ
とり身のおれでぇ。このぐれえの役得や楽しみがあっても、いいってもんでぇ)

「なにジロジロ、エーベックスな目で見とっと? いやらしかぁ」
「ね、ねえ千里ちゃん、鰻重ばかりじゃ身体に悪いぜ。次ぁ、深川飯(ふかが
わめし)にすれぱ…」
「うちは、あさりご飯より、鰻のが好きねぇ! …あ〜、こいで少しは落ち着
いてきよったと。やっぱストレスやパニックんときは、食べるのが一番たい」
「あ〜、へいへい。そーでゃんすか」
ろくな給金をもらってない岡っ引稼業の靖吉には、穴子飯ならともかく、鰻飯
3杯はかなり痛いのです。
「次は、なんか甘いのが食べたかぁ! ねえねえ、田代の靖吉親分、明治チョ
コレートはなかね??」
「チョコ…そりゃなんでい? …それよりどうでぃ、人形焼きでも買って、番
屋にでも一緒に来ねえかい? ゆっくり話も聞きてえしよう」
「わ、人形焼きね! アンコいっぱいがよかぁ!」
(金のかかりやがる娘だぜぃ)
靖吉親分は、そっと巾着の中身を確認しました。まだ二十文ほど残っています
から、人形焼きぐらい少しは買えそうです。



「で? 千里ちゃん、めまいがしたと思ったらよう、大川端に倒れてたっての
かい? …ほら、今度ぁ、左足出しねぃ」
番屋の畳へ上がる前に、靖吉親分は広小路の土ぼこりで汚れてしまった森高の
足を、時間をかけてていねいに洗ってやっています。
「そうたい」
「そりゃ、おめえ、まちげえなく神隠しだぜ。だからよう、ものもよく憶えて
ねえだろうが? ええ?」
「うち、中野サンプラザのバックステージで、急に倒れたとね。記憶はちゃん
とあっりよっとぉ。デビュー以来、シングルCDは10枚で、アルバムはミニ
も含めると7枚、ビデオだって9本も出よっとねぇ」
「…お、おめえさんの言ってることは、こちとら、さっぱりチンプンカンプン
でわけがわからねぇ。頭が、クラクラすらぁな…」
「ああっ! そーいえば、今日のステージにもビデオチームがおったとねぇ」
靖吉親分は、大きなため息をつくと、下っ引の正(まさ)を振り返って目配せ
しました。
(せっかく、これほどのべっぴんがよう、オツムのほうが、まるっきりイカレ
ちまってるぜい)
…と、その目は語っていました。

「いつまで、うちん足ば触っとっと?」
「きれえに洗ってやってんじゃねーか。…それよりおめえ、指の爪といい足の
爪といい、このきらきら光ってんのは、いってえ何でぃ?」
「マニキュアとペディキュアたい」
「……き、訊かなきゃよかったぜ、ちくしょう」
「ほんなこつ、そぎゃん足の上のほうまで、汚れとらん!」
「…お、おめえ、着もんの下に、なに着てんでぃ?」
「…み、見よったと!? こんエーベックス男! たいっぎゃエッチね!!」
「な、なんかキラキラ光るもんがよう、ちらちらしやがるから…」
「こいはステージ衣装ね。ミニキュロットたい!」
「あ、あいたたたっ、まーた頭痛がしてきやがった…」
「ねえ、タオル…じゃなくて手ぬぐい貸しよらんね。…走って汗ばかいたとだ
けん、こん番屋にはシャワーはなかと? うち、お風呂に入りた〜い!」
「ほんとによう、わがまま娘だなぁ、おめえさんは。…いってえ、何様だと思
ってるんでぃ? どこのお姫さんだ、ええ?」
「うちは、千里姫ね〜。『道』のプロモーションVTRでは、そう呼ばれとる」
「じゃあよ、千里姫さん、おめえの親御さんの話でも聞かしてくんねえ」
「…うちんパパは、お相撲の若島津に似よっとねぇ」
「パパってなぁ、なんでぃ?」
「父親たい」
「おめえのてて親は、相撲取りかい?」
「思いっきり違(ちご)うとる、勤め人ね。今度、阿蘇にドライブインでも開
くかって、言っとっと」
「…ああ、おめえと話してると、こちとらまでおかしくなりそうだぜ」
「…ねえねえ、人形焼きの甘いの、たいっぎゃ食べたら、今度はからいのが食
べたくなったとぉ。ねえ、なんか買ってきてくれんねぇ〜」
「お、おめえ、いい加減にしろよ。いくら仏の靖吉ってぇ言われたおれだって、
堪忍袋の緒をゆるめるぜ!」
「そげんこつ言わんと、靖吉親分を江戸時代専属のマネージャにしたげるけ〜
ん、うちん言うことをきいてればよかね。…あ〜〜っ、浅草の手焼きお煎餅が
食べたかぁ!」
「…ま〜ったく、おめえはどういう育ちをしてやがんでぃ!」

根がやさしい靖吉親分は、そう言いつつも、下っ引の正(まさ)を呼んで、浅
草までひとっ走りするよう言いつけました。そして、ついでに奉行所へ寄って、
家出娘の届け出がないかどうか確認するよう耳打ちしました。



下っ引の正が、仲見世で堅焼き煎餅を買ったあと、有楽町のマリオンへ…いえ、
南町奉行所へ立ち寄ってみると、奉行所は上を下への大騒ぎとなっていました。

「だんな! 渡部のだんな! どうかされなすったんですかい?」
「おお、正か、ちょうどいいとこへ来た。靖吉に伝えてくれ。いま、お城から
お目付がここにみえてな、お奉行に会われたのだが、三川藩の姫君様が、江戸
市中で行方知れずになったそうだ」
同心の渡部は、小声で正に告げました。
「…三川藩…ってーと?」
「ばか、六十万石の譜代、大大名の三川様だ」
「……ええーーーっ!?」
「舟遊びをされるとかで、昨日、日本橋から大川端へ御忍びで出られたんだが
な、宵になっても戻られなかったそうだ」
「…じゃ、じゃあ、あっしらの縄張りの近くですかい?」
「そうだ。お目付から、内々にお奉行の海老名様へ、探索協力のご依頼があっ
たのだ。寺社奉行や火付盗賊改役にも、お触れが廻っている」
「そ、そりゃ、てーへんだ!」
「いいか、浅草から西両国、東両国、薬研堀、広小路、馬喰町、人形町、久松
町、本所に深川あたりの大番屋や自身番に触れて廻れ。ただし、騒ぎを大きく
するんじゃないぞ。内々にだ」
「…で、だんなは?」
「おれは与力の勝村様と一緒に、八丁堀の非番の者たちを招集するのだ」
「そりゃ、てーへんだ。大事(おおごと)でやすねぇ…」
「…こら、何をしている。早く行け!」
「へ、へいっ!」

下っ引の正は、腰から十手を抜くと、浅草煎餅の袋を抱えながら大急ぎで駆け
出しました。
「どけどけどけ〜っ! 御上の御用でぃ!! どけ〜っ、魚屋にモーロク婆ー
! てーへんだてーへんだぁてーへんでぇ〜い!!」
二町(218メートル)ほど駆けた銀座あたりで、下っ引の正は三川藩のお姫
様の名前を訊き忘れたのに気がつき、急いで取って返しました。すると途中で、
馬に乗って築地八丁堀方面へ走る与力の勝村と、そのあとをついて駆ける同心
の渡部にバッタリ遭いました。
「だ、だんなぁ! 渡部のだんなぁ〜! そ、そのお姫様の名めえは〜!?」
「た、たわけ者! 声が高い!!」
同心の渡部が、顔色を変えて叱りました。
「す、すいません! そ、そんで、そのお姫様の名めえは…?」
「……いいか、御用の向き以外は、絶対に他言無用だぞ」
「へ、へいっ」
「姫君様の名前は、千里姫…」
「…チサト?」
「こ、これ、無礼者! 呼び捨てにするやつがあるか!」
「へ、へい。…チサトヒメ様……」

正は、一瞬ボーッとなりましたが、ゆっくりと自分の抱えている浅草煎餅を見
やりました。そして、人形焼きを美味しそうにパクついていた、頭のおかしい、
切れ長目の大きな娘をようやく思い出しました。
「……チサトヒメ様。……チサトヒメ様??」
「いいか、早く戻って靖吉に伝えろ! 行けっ!」
同心の渡部はそう言い残すと、与力のあとを追って駆け出しました。

「……だだだだ、だんなぁ〜!!」
「…何だ!? まだそこにおったのか!? 早く…」
「そそそそ、その姫様なら、う、うちの番屋にいる!!」
「……何だと!? …そ、それは、まことか!!??」
「ま、まことだ! ま、まちげえねえ。頭がキ印の、変なお姫様だぁ!!」
「こ、この無礼者めが!! …して、いつからおられるのだ!?」
「さ、さっきから、靖吉親分と薬研堀の大番屋で、人形焼きを旨そうに、パク
パクと食ってやす!!」

(4)へつづく