ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(25)


(24)からつづく

●十二の章


「お、親分、あれ! あれ見ておくんなさい!!」
「…どうしてぇ、正」
夕陽が照り返る、神田駿河台下の坂道で、日がな一日の張り込みでクタクタに
なった、田代の靖吉親分が座り込んでいると、下っ引の正が急に立ち上がって
叫んだのです。

「あ、ありゃ、千里姫様だぁ!」
「…な、なにぃ!?」
見ると、坂下から確かに、町娘姿の千里姫が、スタスタ歩いてきます。
「あ、ありゃ、どっちの千里姫様でやんしょうねぃ!?」
「…ありゃ、おめえ、中野天ぷらのコンコンの、千九百九十一年とかから来な
さった千里姫…千里ちゃんのほうに決まってらぃ!」
親分が手を振ると、千里姫も気がついて、笑顔で手を振って応えました。

靖吉親分と正が、駆け寄ります。
「千里ちゃん、なにかわかりやしたか?」
「ううん、な〜んもわからん」
「こっちもダメでさぁ。昨日の一件で警戒しちまったのか、まったく網にかか
りやせんや」
「ほうね?」
「お屋敷のほうは、昼すぎにバタバタとお侍が六人ばかり、あわてて出て行き
やしたがねぇ。きっと、姫君様を探索されてるんでしょうかねぃ」
「あれ? 木曽忍者さんとご一緒じゃねぇんで?」
下っ引の正が、あたりを見回しながら尋ねます。
「うち、ひとりたい」
「どうしなさったんでぃ? あれだけピッタリ、姫君様のお近くに張り付いて
たのによう。…喧嘩でも、しなさったんでぃ?」
「木曽忍者さんば、モモンガーんなっとっと」
「モモ、モモンガー!? …木曽忍者さんが、ですかぃ?」
「ついでに、同心の渡部しゃんも、モモンガーんなっとっと」
「わ、渡部って、八丁堀の旦那も、モモンガー!?」
千里姫は、呆れたようにため息をつきながら言うと、袂から半紙にくるんだべ
っ甲飴を取り出して、“キツネ”をペロペロと美味しそうに舐め始めました。

「ね、ねえ、千里ちゃん。ちゃんと説明してくれねぇと、こちとらわけがわか
らねぇ…。じゃ、じぁあ、お二人ともモモンガーになって、どっかへ飛んで行
っちまったとでもいうわけですかい??」
「…そうたい」
「…フーーッ。…で、夕べは、どちらにお泊りだったんで?」
「同心の、渡部しゃんとこねぇ」
「…あ、危ねえ、危ねえ! あの八丁堀の旦那のお屋敷は、いけませんや!」
「なして危なかねぇ、親分?」
「あ、あの旦那ぁ、よく町娘を連れ込んじゃあよろしく…、あっ、いけねぇ、
姫様のおん前だ。……とにかく、あの旦那は危ねえ! あんなとこに、泊まっ
ちゃいけませんやぁ」
「木曽忍者さんも、一緒だったと」
「……あ、じゃあ、大丈夫(でいじょーぶ)だったんでやすねぃ?」
「…そういえば、大丈夫じゃなかね。今朝、木曽忍者さんが、夜中に渡部しゃ
んがイモムシばなっとったとって、うちに話しよる」
「イイ、イモムシ!?」
「そうたい」
「モ、モモンガーじゃねぇんでやすかぃ!?」
「夕べは、イモムシだったとねぇ」
「……おい、正、水をくれねぇか。…おれぁ、頭がクラクラ割れそうだぜぃ」
「…ああ、うち、美容院行きたかぁ」
「び、びよう…なんですってぃ?」
「美容院…じゃなかった、髪結い床ねぇ。今、そこの途中で寄ったら、留守だ
ったとぉ」
「じゃあ、明日、あっしがお連れしやしょうかぃ?」
「迎えに来てくれよっと??」
「へえっ、そのぐれぇ朝飯前でさぁ」

そのとき、千里姫が岡っ引たちのうしろに向かって、急に手を振りました。2
人が振り返ると、顔じゅうに包帯を巻いた侍が二人、坂道をこちらへ上がって
きて、門前から三川藩邸内へと入るところでした。
「北村しゃんに、上岡しゃん!」
千里姫の声とともに二人の侍は立ち止まると、ややあって近づいて来ました。
靖吉親分と正は、侍たちの顔を見ると、千里姫のうしろへ隠れて逃げ腰です。

「おお、これはこれは、姫君様! お見それいたしましてござりまする!」
「いま、お医者からの帰りねぇ?」
「左様でござりまする。小石川養生所は、たいへん混んでおりまして、医者に
診てもらうのも一日仕事でござります」
「朝早く出かけたにもかかわらず、順番は九十八番でござりました。用もない
年寄りが、まこと多いのでござります」
「で、怪我はどげんね?」
「はっ、もうそろそろ腫れも引き、包帯が取れそうでござりまする」
「そいは、よかったとぉ。ほんに、悪かったとねぇ〜」
「いえいえ、もうそのお言葉だけで、拙者は幸せにござります」
「拙者も…でござりまする。恐悦至極でござります」
「早う、お部屋でお休み」
「ははぁっ。ありがたきお言葉! …して、姫君様はこのようなところで、な
にをなされているのでございます??」
「うち、散歩しとったと」
「ああ、お散歩でござりますか?」
「春の夕は急に冷えますゆえ、お身体にはお気をつけくださりませ」
「はい、あんがとねぇ」
「では、それがしたちは、市中探索とやらの件で、ご家老に呼ばれて急ぎます
ゆえ、これにて…」
二人の侍は、千里姫に深々とお辞儀をすると、上屋敷の脇門へそそくさと入っ
て行きました。

「…ね、ねえ、千里ちゃん。なんか、おかしくないかぃ?」
靖吉親分が、ポツンと言います。
「…なな、なんか妙で、変ですぜぃ」
下っ引の正も、侍たちが消えた脇門を見ながら言いました。
「…うちも、今、たいっぎゃそう思うとる」
千里姫は、“キツネ”のシッポを口に入れたままです。
「…なんで、あのお二人は…??」
靖吉親分が言い終わらないうちに、北村康之介と上岡和兵衛が、再び脇門から
血相を変えて飛び出してきました。

「ひひ、姫君様!! な、なぜそのようなちまたの往来に、いらっしゃるので
ござりまする!?」
北村康之介が叫びました。
「ええい、きさまら姫君様に何用じゃ!? 姫君様のそのようなお近くへ、し
かも、お背中へ廻るなど、無礼千万!! そこへ直れぃ!!」
刀の柄に手をかけて、上岡和兵衛が飛んできます。
「や、やっぱり、こりゃまずいや。じゃ、あっしたちは、これで…」
「じゃあ、明日の朝、待っとっとぉ〜!」
「へいっ! 必ず迎えにきやす!」
靖吉親分と正は、あとも振り返らず一目散に逃げ出しました。
「こ、こらぁ、待てぇ! 無礼者めぇ!!」

(26)へつづく