ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(22)


(21)からつづく



「克次郎、そろそろ刷りはできておるか?」
岡本淳蔵が、戸澤屋の店先に立ちました。

「はい。すでに、上がっております」
「どれ、見せてもらおう」
「こちらで、ございます」
「…こ、これは…!? 背景を、銀色にしたのか!?」
「左様でございます。この特色を出すのに、まことに苦労をいたしました」
「こ、これは、見事じゃ! さすが、戸澤屋だけのことはあるのう!」
「松前出身の特色遣い、凸版屋の高志丸と、徹丸めの仕事で…」
「…ふ〜む、それがし、背色が銀色とは、思いもよらなんだ」
「名づけて、“銀色の夢・ちさと太夫”でございます」
「た、太夫とは、こ、これ! このお方は、遊女などではないぞ!」
「存じております。しかし、あるお屋敷のやんごとなき姫君様のお顔、そのま
まのお名前では、かえってまずいかと…」
「そ、そちは、それをどうして…!?」
「存じておるのかと申すのでございますか? はっはっはっ、三川藩様の姫君、
千里姫様の美貌は、この神田界隈にまで、広く伝播いたしております」
「…ふ〜〜む、人の口に、戸は立てられんな…」

「これほどの出来の絵に、わたくしめも久しぶりに出会いました」
「これこれ、戸澤屋! 十枚の上は、刷っていないであろうのぅ?」
「はい、それは間違いございません」
「版木も、すでに処分したであろうな?」
「はい、このように、確かに…」
戸澤屋克次郎は、傍らにあった茶包みを解きました。そこには、割られて微塵
になった、“銀色の夢・ちさと太夫”の版木の小山がありました。
「うむ、よし。これも、それがしが持ち帰る」
岡本淳蔵は、刷り上がりの10枚に版木の残骸を持つと、編み笠を深くかぶり
ながら、池田征衛門に細淵正之助たちの待つ、日本橋のたもとへと向かいます。

「旦那様、岡本様は、お帰りになりましたか?」
店の奥から、番頭が顔をみせます。
「ああ、帰られた」
「では、さっそく書店に、残りを卸してまいります」
「いいか、今日じゅうに、日本橋・両国界隈に三千枚、神田界隈に千枚、深川
と浅草あたりには、各五百枚ずつ卸すのだ」
「へい、承知しておりやす」
「急げ! “銀色の夢・ちさと太夫”は、飛ぶように売れるぞ! たった五千
枚だけというのが、ちと面白くないが…」

戸澤屋の店から、卸しの流通定飛脚(じょうびきゃく)を使って、それぞれの
界隈に千里姫の似顔絵が、次々と運ばれていきます。


●十一の章


「あ〜っ、飴屋さんたい。うち、そろそろキャンデーば、舐めたかねぇ!」
千里姫は、頭に手桶を載せた飴売りを、めざとく見つけると言いました。
「…お〜い、飴売り! …ささ、どれにいたしましょう、姫君様?」
同心渡部は、さっそく飴売りを呼び止めてくれました。

「わー、きれーかぁ〜。…いい色ねぇ」
「姫君様、これは江戸の、べっ甲飴細工でござりまする」
「姫君様、そのような下賎な駄菓子など、決して、お食べになってはなりませ
ぬ! もし、姫君様に万が一のことあれば、拙者が腹をかっさばくくらいでは、
あい済まぬことでござります。屋敷内はおろか、国元の姫君様のご贔屓筋から、
拙者は袋叩きにあって、七生末代まで呪い殺されてしまいまする!」
木曽忍者が、すかさず横合いから口を入れます。
「こいは、みんな動物んカタチば、しよっとねぇ」
「左様でござりまするな。…これは、鹿でござりますね」
「こいは、ネコしゃんたい」
「はい、こちらは猪でございます」
「あ、こいは、キツネしゃんねぇ〜」
「タヌキもござりまする」
「姫君様、それがしの言うことを聞いてくださりませ!」
木曽忍者が、いつまでもつづけます。

「…さて、姫君様は、いずれになさりますか?」
「…うち、こん時代はキツネだけん、キツネしゃんにすっと〜」
「それはそれは、姫君様はお目が高い。さすがでござりまするなぁ…。この飴
細工の中で、キツネがいちばん美しゅうござりまする」
「こんシッポば、たいっぎゃむぞらしかぁ〜」
「このキツネは、姫君様に似て、なんと美しい仕上がりでございましょう」
「…あ〜、ばってん大きさからいうと、こっちのが大きかねぇ」
「鹿でござりますか? この鹿こそ、優雅な姫君様のためにある飴細工…」
「ばってん、角が透けてて、あまり詰まっとら〜ん」
「しかし、大きさでは一番でござりまするなぁ」
「…う〜ん、迷いよるぅ」
「姫君様! そのような得体の知れぬものを、食してはなりませぬ! どのよ
うなご病気になられるか、知れませぬぞ!」

「こいは、なんねぇ?」
「それは、モモンガーでござりましょう」
「モモンガーって、なんな?」
「はい、ムササビの親戚でござります」
「ムササビって、ぴょんぴょん飛びよる子ねぇ?」
「さすが、姫君様! 博学でござりまするなぁ! ムササビより大きくて、と
きどき、人を化かすとか申しまする。妖怪変化の気もあるとか…」
「変な子たい」
「変な子…でござりまする」
「うち、これがよかぁ。いちばん大きかぁ〜」
「姫君様のお目のつけどころ、拙者は感服してしまいまする。このモモンガー
は、この飴細工の中では、もっとも上品な仕上がりでござりまする。姫君様の
ためだけに作られた、モモンガーのようでござりまするなぁ」
「…こん、ネコしゃんも、捨てがたいけんねぇ」
「このネコでござりまするか? このネコは、まるで姫君様に飼われてでもい
るような、高貴な風情でござりまする」
「でもぉ、…やっぱこっちがよかぁ」
「モモンガーの出来は、それこそ名人芸の域でござりまする。これほどのモモ
ンガーには、めったにお目にかかれません」
「…やっぱ、こっちのがよかねぇ」
「ネコこそ、優雅な動物の手本でござりまする」
「お、おい、町方! そちには、自分というものがないのか!? さっきから
ズルズル、姫君様の言いなりではないか!?」
木曽忍者が、しびれを切らして毒づきます。

「ねえねえ、モモンガーって、どこにいよっと?」
「はい、森の中とか町外れでござります。木々の枝から枝へ、家の屋根から屋
根へと飛び移って暮らしております。…そう、ちょうど、この木曽忍者殿に似
た、暮らしぶりでござりますなぁ」
「………うち、やっぱキツネしゃんにすっと〜」
「ひ、姫君様! なぜゆえに拙者の顔を、睨み目の冷たい顔をなされて、ジッ
とご覧になってから、モモンガーをやめるのでござりまするか!?」
「さすが、姫君様。こちらのキツネは、最高でござります」
「ばってん、ネコしゃんもかわいかぁ」
「では、いっそ二つ求められては、いかがでございましょう?」
「あ、渡部しゃんは、よかこつ言いよる!」
「お迷いになるときは、両方求めるのに限ります」
「そうたい。…そいがよかねぇ」
「…おい、おやじ、そのきれいなキツネとネコをくれ。…モモンガーなんぞと
見苦しき生き物は、金輪際、絶対にいらぬぞ!」
「こ、こら、町方! おぬし、拙者に昨夜の意趣返しをしておらぬか!?」
飴売りからキツネとネコを受け取ると、千里姫はうれしそうに、さっそくペロ
ペロ舐め始めました。

「うふっ、甘くて美味しかぁ〜」
「その、ネコとキツネの尻尾のところを、うまく折れないようにして食べるの
が、べっ甲飴細工の“通”な食べ方でござりまする」
「折れないで舐めよっとぉ、なんかグッズばもらえっとねぇ?」
「…はぁ?」
「こんキツネも、変な子たい。手で顔ば洗いよる」
「しかし、モモンガーなどにしなくて、よろしゅうござりましたなー。あんな
得体の知れないモモンガーなど、とっとと、いなくなればよろしいのでござい
ます」
「き、きさまぁ。おい、町方! 拙者をモモンガー呼ばわりしたな!?」
「ねえ、木曽忍者さん。さっきから、なんばひとりで怒っとっと?」
「ひ、姫君様は、黙っていてくださりませ! これは、拙者と町方の問題!」
「それがしは、木曽忍者殿をモモンガーなどと、呼んではおりませぬ」
「嘘をつけ! さっきモモンガーのようだと言ったではないか!?」
「それがしは、モモンガーの暮らしぶりに似ていると申しただけ…」
「ええい、無礼者! たかが町方の二人扶持(ににんぶち)定廻り同心風情が、
六十万石譜代大名の家臣に向かって、モモンガーとはなんだ!?」
「…モモンガーは、モモンガーでござる」
「言ったな、モモンガー同心! 抜けぇ、容赦はせぬぞ!!」
「このような天下の往来で切り合いをするほど、それがしは野暮ではござりま
せぬ。それこそ、モモンガーの心根でござる」
「うるさい、モモンガー! 抜けい、拙者の刀の錆にしてくれるわ!」
「モモンガー相手に、切り合いはいたしませぬ!」
「は、果たし合いだ! そのモモンガーの性根を、叩き切ってくれるわ!」
「モモンガーは、おぬしでござろう!」
「こ、このモモンガー同心!!」
「モモンガー忍者!!」

そのころには、見るからに町方同心風情の男と、直参旗本くずれのような格好
をした武家と、そしてキャンデーをペロペロ舐める美しい町娘の、奇妙な3人
連れの周囲を、野次馬が大勢、取り巻き始めていました。

「あー、もーうるさかぁ! モモンガーモモンガーって、たいっぎゃバカみた
かぁ。うち、ほんなこつ、こん人たちには付き合いきれんけん…」
千里姫はそう言うと、人だかりの輪をスルッと抜け出して、ひとり、神田神保
町の方面へと歩いて行ってしまいました。

(23)へつづく