ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(21)


(20)からつづく

そのとき、茅場町の岸辺を手を振りながらやってくる、同心・渡部の姿が見え
ました。
「お〜〜〜い、お探しいたしましたぁ〜! こちらでござりましたかぁ〜!」
ぜんぜん悪びれた様子もなく、同心・渡部はニコニコしながら、艀を渡って、
屋形船にやってきました。
木曽忍者が、すかさず渡部の前に立ちはだかります。
「おぬし、どの面下げてやってきたのだ!?」
「いやいや、夕べは、失礼いたしましてござりまする」
渡部越後朗は、千里姫と木曽忍者の前へ両手をつきました。
「なにをいまさら…。通常なら、拙者がとうの昔に、切って棄てておるわ!」
「あ、千里姫様、おはようござりまする!」
「おはよう、渡部しゃん!」
「今日は、拙者は非番でござりまするゆえ、一日姫様のお伴ができまする」
「ええい、無礼者! 町方風情が、なにを申しておるのだ! 姫君様のお伴は、
それがしだけで沢山なのじゃ!」
「木曽忍者殿、そこもとは、お心が狭い。このような美味しい役どころ、少し
は拙者にも分けてくだされ」
「な、ならぬならぬ! 姫君様をお守りするのは、ご家老付きお庭番の勤め。
それがしの、初めての、ホントーに初めての役得でござる!」

「今日は、どけぇ連れてってくれよっとねぇ〜?」
「はい、どこにいたしましょう?」
「うち、そろそろ美容院へ…じゃなかった、髪結い床へ行きたかぁ〜」
「はいはい、神田錦町に腕のいい髪結いをひとり知っておりますゆえ、そこへ
ご案内いたしましょう」
「うち、お城も見たかぁ〜」
「はいはい、じゃあ髪結いのついでに、平川門か田安門の前まで、ご案内いた
しましょう。お城の中が、北の丸が少〜し見えまするぞ」
「か、勝手にそこもとが、姫君様のご予定を、どんどん決めるな!」
木曽忍者が、渡部を睨みながら言いました。
「田安門って、ひょっとすっとぉ、武道館ばあるとこねぇ!」
「…はぁ?」
「うち、一度でいいけん、武道館でコンサートやりたかぁ〜…」
「…な、なんでも、おやりくださりませ」
「そうそう、江戸のお城の天守閣が見たかぁ〜。熊本城よりは、たいっぎゃ大
きかねぇ〜?」
「……姫君様は、ご存知ないのでございますか? お城の天守は、振袖の大火
で、その昔、焼けてしまいました。拙者の祖父が、生まれる前の話です」

同心渡部が「振袖の大火」と言ったのは、1657年に江戸を襲った“明暦の
大火”のことです。通常江戸では、それを「振袖の大火」と呼んでいましたし、
今でも地元では、そう呼びます。ちなみに、“天和の大火”も、放火した少女
の名前をとって、通常「お七火事」と呼ばれます。
“明暦の大火”は、歴史教科書の呼び方…。火元となった寺で、振袖を焼いて
いる火が屋根に燃え移ったので、こう呼ばれます。その振袖を着た娘が、3人
立てつづけに変死したので、物の怪の祟りを供養するために、寺の境内で焼い
ている最中に延焼しました。

千里姫が迷い込んだ時代(1791年)より、130年以上も前に、江戸城の
巨大な天守閣は、焼失していました。

「そいは、たいっぎゃ残念たい…」
「でも、他のお城の建物は、みなござりまする。なにしろ豊臣の大坂(おおざ
か)城の五倍の大きさゆえ、お城の周囲を巡るのさえ並大抵のことではござり
ませぬ」
「あ〜っ、森高、大阪城ホールでも、一度コンサートやりたかぁ!」
「…なんでも、おやりくださりませ。姫君様の、御意(ぎょい)のままに」
「ばってん、今はコンサートより、朝ご飯が先たい。うち、朝から江戸胡麻油
でぇ、カラーッと揚げた天ぷらが、いきなり食べたかぁ!」
「では、さっそく浜町河岸へ参りましょう。ささ、揺れますゆえ、お手を…」

渡部が差し出す手に、千里姫ではなく、木曽忍者がずいっと手を添えました。



「これ、芳賀はおるか!? 芳賀はどこじゃ!?」
家老の西村修衛門が、屋敷内をあたふたと駆け廻っています。
「ははぁっ! それがしは、ここに」
「芳賀っ! わ、わしの貯金がないのだ! そちは、存じおろう??」
「…い、いえ、拙者は存じ上げませぬ」
木曽忍者に口止めをされている、芳賀浩助が答えます。金1両と、千里姫の髪
の毛を1本、口止め料として受け取ってしまっています。

「そ、そのようなことが、あるわけがないではないか! そちは、まがりなり
にも、勘定方のお役目だぞ!」
「…はあ、し、しかし、ご家老の貯金までは…」
「なにを言っておる! ついこの前、そちに託したではないか!」
「………」
「そちは、その場で、百両を金庫に仕舞っておったではないか!」
「さ、さあ…、い、いつのことでござりますか? 憶えが…」
「ほ、ほれ、小石川養生所の看護女の白衣が、ういういしいと世間話をしたと
きじゃ。わしは、桃色が好きじゃが、おぬしは空色と申したではないか! 奥
には内緒で、一着入手できぬものかと…」
「さ、さあ、…憶えがござりませぬ」
「た、たわけ者! なにを申しておるのだ!」
「…そ、それがしには、とんと憶えがござりませぬ!」
「…ええい! もうよいわ!!」

家老の西村は、ドシドシと廊下を歩いて行きました。芳賀浩助はホッとして、
立ち上がろうとしたときです。
家老が、振り返って何気なく訊きました。
「…ところで、木曽忍者は、元気であったかのう?」
「はい、とても元気で…」
そう言いかけて、芳賀浩助は両手で口を覆いました。
「そ〜れ、やっぱりのう! わしの老練さに、少しは怖れ入ったか!?」
「………!」
「木曽が、参ったのじゃな!?」
「は、ははぁっ! 怖れ入りましてござりまする!」
「して、口止め料はいくらじゃ!?」
「は、はい、一両でござりまするぅ!」
「しょうのないやつじゃ! 殿に知れたら、切腹ものじゃぞ!」
「も、申しわけござりませぬ!!」
「よし、わしが二両出そう。知ってることを全部話せ」
「…か、家臣を買収しても、よいのでございますか?」
「ええい、黙れだまれ!! もともとは、そちが家老のわしを、たばかったの
であろうが!?」
「ははぁっ!」
「して、木曽忍者はどこにおる!?」
「は、はい。…詳細な場所は知りませぬが、両国・日本橋界隈だとか…」
「…ま、まさか木曽忍者が、千里姫様をかどわかしたのではあるまいな…?」
「そ、そのようなことは、決して、ない…とは、存じますが…。いや…、ない
とは、言い切れぬかもしれませぬが…。しかし…あるとも…」
「ええい、どっちなのじゃ!?」
「しかし、木曽忍者殿も、千里姫様に夢中であるがゆえ…」
「たわけ者め! 下々の家臣が、主家の姫君に懸想をしてどうするのじゃ!?」
「しかし、秋の空と男女の仲ほど、わからぬものは…」
「ばかもの! 一般論を言うでない!」
「ははぁっ!」
「…ま、まさかのう、わしの子飼いの庭番が、鬼面党の一味…ということは?」
「そ、そのような、ことは、ございま…せぬ…とは、思いますが…」
「またしても、どっちなのじゃ!? 怪しいそぶりでもあるのか?」
「い、いえ、拙者にはわかりませぬ!」
「ふ〜む、これは早急に探索方を繰り出して、二人を探し出さねばならぬな」
「御意!」
「な、なにが、賄賂をもらっていて、御意なのじゃ!?」
「ははぁっ! 怖れ入りましてござりまする!」

「ついでに、そのほうの胸元に見えておる、紙包みを出せい!」
「こ、これは拙者あての、国元からの書状でござりまする」
「ウソを申すな! なぜゆえに国元からの書状に、<千里姫様御毛髪弐拾壱歳
・寛政参年春>などと書いてあるのだ!?」
「…こ、これだけは、なにとぞ、なにとぞご容赦くださりませぇ!!」
「ならぬ! このようなものを、肌身離さず持ち歩きよって。これは、わしが
預かっておく!」
「ご家老様! どうか、どうかそれだけは、お許しくださりませ!」
「ならぬと言ったら、ならぬわ! 芳賀、そちはわしの目を、節穴だとでも思
うておるのか? わしは、ちゃんと知っておるのだぞ」
「…な、なにを…でござりまするか?」
「そちたち、勘定方をはじめ、組頭、家人、中間、果ては奴っこにいたるまで、
家臣のほとんどの者が、千里姫様の品物を集めているのを…。やれご毛髪だ、
お爪だ、鼻紙だ、古草履だ、捨てられた端切れだのと…。しかも、それらを藩
邸内にて、高額で売買しているというではないか!」
「………」
「まったくもって、不健康きわまりのない趣味じゃ! いったい、主従の美徳
は、いかがいたしたのであろう…」
「怖れながら申し上げます。では、小石川養生所の、看護女の白衣を集められ
るのは、健康な趣味なのでござりまするか?」
「ええい、減らず口をたたくな! 一刻も早く探索方を結成するゆえ、池田に
伝えろ! …あ、待て! …ちなみに、この千里姫様のご毛髪は、売るとすれ
ばいくらなのじゃ?」
「そ、それは、怖れながら、ご毛根がお付きのゆえ、金十両でござりまする」
「な、なにぃ!? これが十両とな!? それは、ちと暴利じゃ!」
「いえ、つい先だて、千里姫様のご毛根なしのご毛髪に、金五両の値がついた
ばかりでござりまする」
「…ふ〜む、千里姫様が万が一、ご出家(剃髪して尼になること)などなされ
ようものなら、わが藩の財政は一気に大黒字に転換する…ということか。…し、
しかし、これはすごいことよのう。渡良瀬川に印旛沼のご普請財の心配も、一
気に解決するというもの…」

当時、江戸幕府は、全国でさまざまな公共事業を展開していました。特にこの
寛政年間には、水奉行を任命し渡良瀬川流域の橋架や水運路の整備・治水事業
をはじめ、江戸末期までつづく印旛沼の大がかりな干拓事業が始まろうとして
いました。
これらの財源は、幕府のみならず全国の大名が出資していたのです。

その出資の目安は、“千石に人足一人”が原則でした。したがって、六十万石
の三川藩は、人足を1年間に600人分雇えるおカネを、幕府に対して支払わ
なければなりません。
これは各地の大名にとっては、参勤交代の制度とともに、とても大きな負担と
なりました。こうして江戸幕府は、諸大名が財力を貯えて、幕府に対抗できる
勢力になるのを妨げていたのです。

「ご、ご家老様、なにとぞ、それをお返しくださりませ!」
「これは、わが藩の財政再建の足しにするゆえ、わしが預かる!」
「…な、なにが、不健康きわまりない趣味だ。…じ、自分だって…」
「なにか申したか?」
「い、いえ…」

木曽忍者の毛髪とも知らず、家老は大事そうに、それを懐中に仕舞いました。

(22)へつづく


(22)へつづく