ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(20)


(19)からつづく

●十の章


1991年の千里姫は、浴衣姿で目が醒めると、ひとつ大きなノビをしました。
その途端、地面がグラグラと揺れ出したのです。
「じ、地震たい! 大きかぁ!!」
急いで障子を開けて飛び出そうとしましたが、すんでのところで思いとどまり
ました。障子の向こうは、日本橋川の流れだったのです。
千里姫は、ようやく夕べのことを思い出しました。実は、屋形船の中で寝てい
たのです。

千里姫は、夕べ、同心・渡部と木曽忍者の3人で、浅草寺見物に行きました。
渡部越後朗は、千里姫の御忍びをお守りするのが町方同心の役目…とでも判断
したようで、市中を案内がてら、ずっと付いてきました。明日が非番…という
こともあったのでしょう、夜中まで付き添っていてくれたのです。
そして、千里姫の(いえ、ホントは森高の)気さくな様子に惹かれて、つい八
丁堀にある屋敷へと案内してしまいました。木曽忍者も、町方ならヘタなこと
はすまい…と判断して、つい黙って付いてきました。

ところが、みんなが寝静まったころ、木曽忍者は、ゴロゴロとなにか重たいも
のが転がるような、不審な音で目を醒ましました。障子をソッと開けて覗いて
みると、千里姫の寝ている部屋の方へ、同心の渡部がゴロゴロと廊下を転がっ
ていくのです。
「そ、そちは、いったい、なにをしている?」
「………」
転がるのが、ピタリと止みました。
「こら、起きろ! そちは、そこでなにをしておるのだ!?」
「う、う〜む。………ハッ、わ、わたしは、なにをしているのだ??」
「それは今、それがしが尋ねておる!」
「こ、ここは、どこです? わ、わたしはいったい…」
「ええい、寝転がったまま、姫君様の部屋へ近づくとは、無礼であろう!」
「…い、いえ、木曽忍者殿。わたしは、昔から寝相が悪くて、半分、夢遊の病
いの気がございまする。したがいまして…」
「知ったことか、怪しいやつ!」
「ほ、ほんとうでございまする! いや、失礼つかまつりました…!」
同心・渡部は、木曽忍者にそう言い残すと、そそくさと自分の部屋へと引き上
げて行きました。

しかし、また半時(1時間)ほどするとゴロゴロゴロッと、さっきよりも音は
かなり小さくなっていますが、同じような音が聞こえてきました。木曽忍者は、
再び障子をソッと開けてみると、今度は、座布団を身体に巻いた同心が、先ほ
どよりはゆっくりと千里姫の部屋へ向けて、廊下を転がっていくのです。
「な、なにをしておるのだ! 無礼者め!!」
「………ハッ、わ、わたしはいったい…??」
「また、夢遊の病いか? それにしても、転がる音を小さくしようと、座布団
を身体に巻くなど、なんとも都合の良い寝ボケざまではないか!?」
「…わ、わたしは、自分で自分が恐ろしゅうござる! …こんなことは、めっ
たにないことゆえ、な、なにとぞ、夢遊の病いに免じてお見逃しくだされ!」
「何度も懲りない、そちの心根のほうが、よほど怖いわ!」
「…で、では、ゆるりとお休みくだされ。……早く、寝てくだされ」
「も、もうこのような、いかがわしいイモムシ同心屋敷に、姫君様をお泊めす
ることなどできぬわ!」
木曽忍者はそう言い残すと、寝ボケてフラフラの千里姫を抱きかかえて、丑三
ツ近く、日本橋川に浮かぶ屋形船へと連れて行ったのです。

「木曽忍者さんば、どこね??」
夢うつつのまま、昨夜、この屋形船に連れて来られたことを、ようやく思い出
した千里姫は、舳(へさき=舟首)の障子を開けてみました。そこでは、木曽忍
者と船頭が、なにやら相談しています。
「ああ、木曽忍者さん、おはよう。うちは、どぎゃんして、こげなとこに寝よ
る? 渡部しゃんのお家は?」
「姫君様、きゃつは、とんだ食わせ者でござりまする!」
千里姫の前に跪いて、木曽忍者が答えます。
「どげんしたとね??」
「あの者は、夕べ、姫君様の寝所へ、芋虫夜這いをしたのでござりまする」
「……ええ〜っ!?」
「姫君様は、ぐっすりお休みでござりましたが、まことのことでござります」
「…わ、渡部しゃんは、ほんなこつ、イモムシだったとねぇ!?」
「お、思いっきり違いまする!」
「じゃあ、なんね? どぎゃんしたと??」
「…い、いえ、姫君様は、知らずともよいのでござりまする」
「なんね、ようわからん。そいより、こん舟で、どこぞへ行きよっとねぇ?」
「いいえ、姫君様。当分の間、宿がわりに使わせてくれるよう、いま船頭と交
渉をしておりました。ここが、どこへ泊まられるよりも絶対安全でござります。
夜になれば、艀(はしけ)を外してしまいますので、誰もこの舟には近づけず、
乗り移れませぬ」
「ばってん、お風呂やお手洗いは、どげんすっと??」
「その点は、ご安心くださりませ。この船頭の知り合いの大工に頼んで、そこ
の河原筋に、姫君様専用の湯殿とご雪隠を、今日じゅうに建てさせまする」
「ばってん、おカネがかかりよっとねぇ」
「大丈夫でござりまする。これを、見てくださりませ」
木曽忍者は、五十両の切り餅を2つ、併せて100両を懐から取り出しました。

「そ、そげな大金、どぎゃんしたとね!? 強盗でもしよったと!?」
「…い、いくら姫君様でも、し、失礼でござりまするぞ!」
「ああ、そいはごめんしゃい。悪かったと。…カンベンしよらんねぇ〜」
「いえ、拙者、夜が明けぬうちにお屋敷へと戻り、勘定方の芳賀殿を起こして、
内密に出してもらったのでござりまする」
「ああ、じゃあ三川藩のおカネね?」
「いえ、ご家老の西村様の、隠し貯金でござります」
「…じゃ、じゃあ、ドロボーじゃなかね!?」
「いえ、ご家老付きの庭番である、拙者の給金が常々安すぎますゆえに、これ
は特別の賞与…だと考えておりまする」
「ボーナスね」
「…はぁ??」
「せっかく建てるんだったらぁ、お湯の出るシャワーばつけてくれんねぇ。そ
いから〜、トイレにウォシュレットは、うち絶対譲れんけ〜ん」
「………」
「そいに、節穴のない板で、お風呂の天井と壁ば作りよっとぉ〜」

話の出たついでに、少し前に江戸上水の水道(すいど)について書きましたの
で、下水についてもちょっと触れておきましょう。江戸時代の生活排水の処理
は、下水道を通じて川へ流すのが普通でした。でも、トイレだけは少々違って
いたのですよね。
江戸市中のトイレは、ほとんどが水洗式のものでした。たとえば、長屋や商家
などは、トイレの下を常に水が流れていて、当初はそのまま下水道を通じて川
へと流していたのですが、それでは不衛生だというので汚水溜め(つまり、今
でいうところの浄化槽のようなものです)へ集められて、しばらく置かれたあ
と、江戸郊外の田畑の肥料として再利用されました。

江戸郊外に、練馬ダイコンや飛鳥山ゴボウ、滝野川ニンジン、岩槻ネギ、佐倉
コンニャク、葛西青菜、千住ナス、高田馬場ミョウガ、葛飾小松菜、居留木橋
カボチャなどのいわゆる江戸野菜や、牛込イチゴ、田畑(端)メロン(甘瓜)、
世田谷スイカ、目黒ガキなど、江戸水菓子(果物)の名産地が多かったのは、
この良質な肥料のリサイクル・システムに由来します。
このリサイクル・システムが完備されるころには、江戸郊外は、野菜や果物の
種類といい、その生産量といい、全国一の供給地となります。

ちなみに、カボチャのことを“南瓜”と書くのは、江戸城の南側で栽培された
ので、そう表記されるようになりました。また、品川の東海寺の禅僧・沢庵が、
米糠を用いたそれまでにない独特の漬物(沢庵漬け=糠味噌漬け)を発明した
のは、練馬ダイコンの出来がきわめて良質だったせいでもありました。

そして、もうひとつ。江戸は、世界で初のレンタル・トイレが完備された街で
もありました。江戸の町人地区だけで、江戸中期には180箇所の貸しトイレ
が数えられ、ちゃんと当時の“ぴあMAP”にも掲載されています。
これらは、繁華街や寺社の門前など、遊山客の多い地域に作られましたけれど、
貸しトイレを経営していたのは、町人たちのアイデア商売というよりも、良質
な肥料が欲しい、江戸郊外の農民が多かったようですね。

(21)へつづく