ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(19)


(18)からつづく

●九の章


「親分、どうしやしょう!?」
予定の時刻に水車小屋へやってきた、朝倉の武蔵丸が言いました。
「ふーーむ。しかし、三川の屋敷ぁ静かなのに、どうして町方が急に出張(で
ば)ってきやがるんでぃ。おめえ、おかしいとは思わねぇか?」
冨家の英吉は、クビをかしげながら腕組みをします。
「…確かに、そう言われてみりゃ、なにやら唐突で…」
武蔵丸も、懐の一分銀をもてあそびながら、考え込んでしまいました。
「それとも、こりゃ町方の見込みによる、先っ走りかい…」
「先っ走りってぇと…?」
「だからよう、こちとらの正体も千里姫のことも知らずに、ただ単に怪しいっ
てんで、追いかけただけかも知れねえ」
「でも親分。往来の様子じゃ、声をかけた侍とも、てえげえ、つるんでいるよ
うでしたぜ」
「その侍は、三川の家来か?」
「いや、服装からして違いやすねぇ。ちょいと見、直参のようでした」
「旗本と町方が、なにをつるんでやがるんでぃ…?」

「…ひょっとしたら親分、加役じゃねぇでしょうね?」
名和の一之助が、横合いから不安そうに言います。
「…まさかな。…娘思いの三川の殿様だぁ。若年寄や目付にゃ届けるめぇ。そ
れに、姫君が御忍びで、大川の桜見物してたってぇことが公になってみろぃ、
御上からどんなお咎めがあるかも、知れやしねぇんだぜ」
「ふむ、それもそうだ…」
呉谷の縄蔵が、千里姫の足袋を洗いながら同調しました。
いちばん千里姫につらく当たっている縄蔵が、結局いちばん姫君の面倒をみる
ハメになってしまったのです。
「奢侈ぎれえの白河老中(松平定信)のご意向に逆らったとなりゃ、いくら六
十万石の大大名といえども、なんらかのお咎めがあらぁね。ここは、三千両を
すんなり払ってでも、内密にしたがるなぁ筋じゃねえかぃ」
「確かに、親分の言う通りだぜ」
呉谷の盛蔵が、煙草を吸いながらうなずきます。
今晩は、鬼面党の面々が全員、この水車小屋に集まっていました。

そのとき、2階へと通じる梯子段が、ミシミシッとなりました。一同が驚いて
見上げると、千里姫が目をこすりながら下りてきます。
「…今晩は、なかなか眠れないの」
「どど、どうしたんでごぜぇやす? 姫君様?」
冨家の英吉が、急にやさしい声になって尋ねました。
「眠れない夜、窓の外は星空〜…」
「そ、そりゃ、なんでごぜぇます? 川柳ですかぃ?」
名和の一之助が、きれいな千里姫に見とれながら訊きました。
「わらわの作った、和歌です」
「へぇ〜、姫君様は歌も詠まれるんですかぃ?」
呉谷の盛蔵が、すっかり感心しながら千里姫に火端の席をゆずりました。
「ささ、今夜は花冷えだ。もっと火鉢の側に、寄りなせぇ」
朝倉の武蔵丸も、柄に似合わず、細かな心配りなんぞをしています。

「そうなんだ。姫様の歌は、突然出てくるから、てぇしたもんだぜ」
冨家の英吉がつづけます。
「さっきも、夕飯を一緒に食ってたら、…ええと、アジの塩焼きを見なさって、
なんて詠まれましたっけねぇ、姫様?」
「…話したいのはわ〜か〜る〜けど、アジさ〜ん…」
「…これだよこれ、あっしたち下々の者にゃ及びもつかねぇ、鋭でぇ感覚と、
才能を持ってなさる」
「あれは、アジの塩焼きが、なにか物言いたそうなお顔をしていたから、ああ
詠んだのです」
「なーーる…、そりゃてえしたもんだ」
すっかり千里姫の色香に迷ってしまった、名和の一之助が誉めちぎります。
「でも、とても美味しかったので、みな食べてしまいました」
「ありゃー姫様、そこの品川沖で獲れたアジでさぁ。新鮮でやしたでしょう?」
「わらわは、とても気に入りました」
「そりゃ、なによりですぜぃ」
「品川とは、大きな宿場であろうのぅ〜?」
「へい、そりゃもう、御上の継飛脚の、集合地でごぜぇますからねぇ」
「赤も青も白も黒も、花も虫も土も飛脚屋も〜」
「……フ〜ッ、常人にゃうかがい知れねぇ、特別の歌才がおありだぜぇ…」

「やいやいやいやいっ!、みんなどうしたってんでぃ!?」
片隅で、黙々と千里姫の足袋を洗っていた呉谷の縄蔵が、桶の中に洗いかけの
足袋を投げ込むと、イライラした大きな声を出しました。
「みんな、この姫君様にぞっこんじゃねーのかぃ、ええ?? この姫君は、い
いか、人質なんだぜぃ! おれたちの目的のための、いわば道具なんでぃ! 
それに情を通わせてぇ、いってぇどうなるってんでぃ!? 親分も親分だ、ど
うしちまったんでぃ!?」

このわずか数日の間に、鬼面党の一味は、素直で謙虚で真っ直ぐな心の持ち主
である千里姫のことを、実は大好きになってしまったのです。
食べ物に関しては、ちょっとワガママなところもあるのですが、分け隔てのな
い人への接し方や、偏見のないものの見方が、なによりも時の権力に虐げられ、
“河原者”と蔑まれてきた彼ら芸人たちを、案外ホロッとさせてしまってもい
ました。
千里姫が、このような性格の姫君に育ったのも、実は千里姫の両親、つまり三
川藩の殿様と奥方の、既成ワクにはめ込まない、自由で闊達・柔軟な教育の影
響が大でした。
そんな姫君をめでる仲間たちの様子を見ていて、呉谷の縄蔵は本能的に、そろ
そろやってきそうな危機の匂いを、敏感にかぎとったのでしょう。

「みんな、そろいもそろって焼きが廻っちまったってわけかぃ! ええ??
…ったく、冗談じゃねぇぜ!!」
そう吐き捨てるように言うと、再び手桶の中の足袋を掴みました。
「…おい、呉谷縄の。姫様がびっくりなさるじゃねぇか」
「そうだ、姫君様に、ご無礼をひとこと謝れぃ!」
「なんてぇ乱暴な口を、姫様のおん前できくんでぃ!」
「姫様が、怖がられてるじゃねぇか…。しょうのねぇやつだ!」
みんな口々に、呉谷の縄蔵を非難しました。
「縄蔵さん、そこにいたのですか? 姿が見えないので、わらわは寂しい思い
をしておりました。また、今日の昼間のような楽しいことを、二人でいたしま
しょうね。…約束ですよ?」
その瞬間、鬼面党の面々の顔に、サッと緊張の色が走りました。

「…おい、呉谷縄の。てめぇ、昼間、姫様と二人っきりで、いってぇなにをし
やがったんでぃ? ええ?? 正直に言ってみろぃ!」
名和の一之助が、殺気立った声で詰問しました。
「…なにもしちゃいねぇ」
「やい、さっきからエラそーな御託を並べやがって! おめえは、いってぇ姫
様になにをしやがった!? ことと次第によっちゃ、ただじゃおかねぇぞ!」
冨家の英吉も、ドスのきいた声で詰め寄ります。
「な、なにもしちゃいねぇやい!」
「楽しいことたぁ、いってえぜんてぇなんでぃ!? 答えによっちゃ、兄弟の
縁を切るぜぃ」
呉谷の盛蔵も、気色ばんで弟を睨みつけました。
「み、みなの衆、喧嘩はよろしくありませぬ。わらわが許しませぬぞ」
「姫君様は、黙ってておくんなさい。…いや、姫君様、この弟の縄蔵がいって
ぇ、なにをしなすったんでぃ? 昼間の楽しいことたぁ、いってえ…?」
「縄蔵さんが、わらわに楽しいことを教えてくれたのです」
「くく、くっそ〜っ! もう勘弁ならねぇ!」
逆上した名和の一之助が、そばにあった太薪を1本、むんずと手に取りました。
「あの、紐で手を縛り合うのは、なんというのでしょう? 縄蔵さん??」
千里姫が、両手を前に出してみせます。
「ててて、てめぇーーっ、表へ出ろぃ!!」
朝倉の武蔵丸が、大きな身体でズイッと、呉谷の縄蔵に迫りました。
「……あや取りでぃ、千里姫様」
縄蔵が、ボソッと答えました。
「そうそう、あや取りじゃ。わらわは、あのあや取りが大好きなのです」

「………」
一同の間に、しばし沈黙が広がったあと、先ほどよりははるかに大きな殺気が
走り抜けました。
「や、やい、縄蔵! お、おめぇ、姫君様を押し倒したんならまぁ〜だ許せる
が、あや取りしたとはどういうことでぃ!!?」
「そうでぃ、手込めにしたんならともかく、あや取りたぁ、金輪際許せねぇ!
たたっ殺してやる!!」
「人質は道具だのなんだのと、聞いた風なことをぬかしやがって、てめぇがい
ちばん千里姫様と、よろしくやってるじゃねーか!?」
「あや取りまでしたとは…。ひとりで、いい思いしやがって! も、もう兄弟
の、縁切りでぃ!!」
「みみ、みんななにを言ってるんだ!? どど、どうしちまったんでぃ!? 
た、たかが、あや取りで、なにを殺気立ってんでぃ!?」
呉谷の縄蔵は、びっくりして周囲を見回しました。
「るせぇ! この人でなしめぃ!! いってえ、千里姫様から、あや取りのな
にを取ったんでぃ!? てめぇ、正直に吐いちまいな!!」
「……“川”とか“熊手”とか…」
「な、なにをー!! “熊手”を取るたぁ…! おめぇ、思いっきり、姫君様
の手のひらに触れやがったな!!」
「み、みんなぁ、千里姫の色香で、おお、おかしくなっちまってる!!」
「おかしいのは、てめえだ! 呉谷縄の!! 姫君様とあや取りなんて、大そ
れたことをしでかしやがってぃ!! おめぇは鬼だっ!!」
「そうだ、夜叉!!」
「そうだ、般若!!」
「そうだそうだ、鬼面党!!」
「やや、やめろーーーっ! こ、このまま、人質に情が移っちまって、みんな
これ以上おかしくなっちまったら、鬼面党の鉄の結束はどうなるんでぃ! 今
にどっかから、ほころびてきちまうぜぃ!!」
縄蔵は、千里姫の陰に隠れるようにして叫びました。

「わらわ二十歳、大人だわ、いつのまにか〜…」
「………」
「あ〜あ〜しりたがり、あ〜あ〜しりたがり〜…」
「………い、今のも、短歌なんですかぃ?」
冨家の英吉が、フッとわれに返って訊きました。
「はい! 一年も前の作品ですが…」

夜陰をついて、どこかで鴫の泣く声が、鋭く闇を引き裂いています。

(20)へつづく