ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(16)


(15)からつづく



「あ、見て見て、木曽忍者さん! お煎餅屋さんがあっとぉ」
「ま、まだ、食べるのでござりまするか、姫君様? さっきは団子に白酒、次
は、きな粉白玉にところてん、そのまた次は、桜餅に蓬餅にあんみつで、つ、
つい今しがたは、くずきりに密豆を…」
岡っ引の靖吉親分と下っ引の正の2人とも別れた、千里姫と木曽忍者は、三囲
(みめぐり)稲荷のある竹屋の渡しにはじまり、須崎、寺島、隅田、木母寺あ
たりまで20キロメートル近くつづく、大川土手の桜並木をしばらくブラブラ
歩いたあと、再び両国橋まで戻ってきたのです。
桜並木の下は、花見の客もまばらで、例年なら吉原の遊女や禿(かむろ)まで
繰り出した、一大ドンチャン騒ぎが繰り広げられるのですが、寛政の世はひっ
そりとして、あらゆる遊興が鳴りをひそめていました。

「あ、こんお煎餅屋さん、越後屋って書いてあっとぉ! こん前、同心の渡部
しゃんが言ってたとこねぇ。ねえねえ、新潟のお煎餅、食べよ」
「ニイガタとは、なんでござりますか?」
「いいから、食べよ。木曽忍者さんが、うちの大蔵大臣…じゃなかった、勘定
奉行だけん、一応お許しを得んとねぇ」
…などと言いつつも、千里姫はどんどんお店に入って行ってしまいました。
すると、噂をすればなんとやら…、当の町方定廻り同心の渡部が、店(たな)
の大きな上がり框(がまち)に腰をかけて、店の主人らしき風情の男と、なに
やらヒソヒソ話をしています。千里姫は、いろいろなお煎餅を見ながら、渡部
を驚かせてやろうと、そっと背後に近づきました。

「どうか、どうかこれをお納めくださいませ、お役人様。へっへっへっ」
「いやいや、いつものことだが、悪いのう。ひっひっひ」
2人の前には、紙に包んだ大きめの煎餅箱が置かれてあります。
「とんでもございません、今の店が繁盛するのも、みな、あなた様のおかげ」
「そのようなことはない」
「いえいえ。…ささ、どうか、どうかお納めください」
「そうか、越後屋。そちも、なかなか気がきくのう。ふっふっふっ」
「渡部様こそ、お好きでございますなぁ。ひっひっひっ」
「そちほど、悪知恵は働かぬわ。ふっふっふっ」
「いえいえ、これは商いの基本でございますゆえ…。ひっひっひっ」
「待って! そこで、なんばしよっと!?」
千里姫が、渡部の背後から、急に大きな声を出しました。ギョッとした渡部が
振り返ると、そこに睨み目の冷たい表情をした千里姫がいるのを見て、さらに
ギョギョッとしてしまいました。
「…こここ、これは、また、ひひ、姫君様! …ははぁーーーっ!」
同心渡部は、いきなり店の土間へ土下座をしてしまいました。主(あるじ)を
はじめ店の者全員が、ポカ〜ンとしたまま千里姫と渡部を見ています。
「そこで、なにやっとったと? そん箱の中身は、なんね!?」
「せせ、煎餅でござりまする!」
「嘘ばつくんじゃなかね! そん中には、小判がいっぱい入っとっと」
「いい、いえ、越後の米でこしらえた、煎餅でござりまする!」
「賄賂じゃなかね?」
「とと、とんでもござりませぬ!」
「じゃあ、開けてみんしゃい!」
「は、ははぁっ!」
「……早う開けんと、うちが開けるけん!」
「は、ははぁっ! た、ただいま…!」
同心渡部は包みを解くと、千里姫に差し出しました。
千里姫は、それを揺すったり、並んだ煎餅の下を調べてみたりしましたが、小
判など影も形もありません。

「…どうやら、うちの早とちりだったとねぇ」
「ははぁっ!」
「カンベンしよらんねぇ、渡部しゃん。うちが、悪かったと。うち、テレビの
時代劇の見過ぎかもしれ〜ん」
「…は、ははぁっ!」
「…ばってん、こんお煎餅は、たいっぎゃ美味しかねぇ!」
千里姫は、その中の1枚を、もう食べ始めているのです。
「ははぁっ、そうでござりましょう! 姫君様、怖れながら申し上げます。そ
れが、越後の米を使った、本物の越後屋煎餅でござりまする!」
「ばってん、あたはなしてこげなもん、越後屋さんから貰いよる?」
「怖れながら申し上げます。それがし、越後屋煎餅の新作ができるたびに、町
内にそのことを触れ回っております。ですから…」
「あ〜、…広告宣伝費がわりねぇ」
「ははっ、お察しの通りでござりまする!」
「いつも、お世話になっておりますので、こうして新し物を、煎餅好きの渡部
様に差し上げていたのでございます。渡部様とは、同郷でもごさいますし…」
ようやく我に返った越後は村上の出、越後屋聡右衛門が、千里姫に向かって手
をつきました。
「怖れながら申し上げます!」
「いちいち、怖れんでもよかね。立ちぃ、渡部しゃん」
「ははっ、怖れながら…いえ、特にこのたびの新作は、越後煎餅に江戸の浅草
海苔を巻いた、斬新な逸品ゆえに、それがしも…」
「うん、確かに美味しかぁ。ほれほれ、ここに、隣りに座りよらんねぇ。うち、
ちゃんと自己主張する人ば、好きだけんねぇ。こん前、番屋でここんお煎餅を
推薦してくれよったとでっしょ?」
「は、ははぁっ」
渡部は、おずおずと千里姫の隣に腰掛けました。
「わ、渡部様、こちら様は……??」
越後屋聡右衛門が、気がかりそうに尋ねます。
「こ、こちらの姫君様は、三川藩…」
「黙っとっと。よかね、江戸の町中だけん。そぎゃんこつはどうでもよかぁ」
「ははぁっ! 怖れ多きことでござります!」
「おじさん、こんお煎餅、ひと箱くれんね。そいから、渡部しゃんの分も、う
ちがお詫びんしるしに、おカネ払うけん」
「きょ、恐悦至極に存じまする!」

「ひ、姫様! なぜゆえ、このような町方同心風情に、煎餅なぞ駄菓子を買っ
て上げねばなりませぬ!?」
今まで黙ってなり行きを見ていた木曽忍者が、千里姫に不満そうに囁きました。
「おカネ、足りんとね??」
「い、いえ、金子(きんす)は、まだまだござりますが…」
「足りんかったら、お屋敷から持ってくればよかぁ〜」
「ひ、姫様! これは、それがしの大切な、月々の…!」
「#テリヤキバーガーん曲でぇ、♪関係ないわよ〜…んとこを〜、今度、たっ
た二人だけでデュエットしてあげるけん、ごちゃごちゃ言わんと付いてくれば
よかぁ」
「……ミ、ミニクロウタで…でござりまするか?」
「たいっぎゃ、しつこかぁ!」
「は、ははぁっ!」
千里姫は、恐縮する同心渡部の横で、お煎餅にお茶を飲みながら「美味しかぁ」
を盛んに連発し、次は芝居小屋にでも入ってみようかな…と、ウキウキしなが
ら考えていました。

    

(17)へつづく