ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(15)


(14)からつづく

●七の章


千里姫の出奔に気がついた、駿河台下にある三川藩上屋敷では、少なくとも家
老以下の人々が、上を下への大騒ぎを繰り広げていました。
「と、殿ぉ〜〜! やはり、木曽忍者の姿も見えませぬ!」
家老の西村修衛門が、三川英宗に報告しました。
「姫は、どこへ行ったのかのう…?」
「や、やはり、鬼面党とか申す、無頼の仕業でござりましょうか!?」
「もしそうであれば、あの木曽がおとなしく見逃すはずがない…」
「し、しかし、相手は、江戸でも名うての賊徒でござりまする!」
「う〜〜〜む…」

三川の殿様の横では、奥方がゆっくりと茶を立てています。
「奥、そなたはどう思う?」
「はい、きっとまた桜見物か、芝居見物でございましょう。木曽の庭番もつい
ておりますれば、案ずることはござりませぬ」
「それも、そうじゃのう…。この陽気じゃ。千里でなくとも、遠いところへ行
きたいのう、どこか遠いところへ〜…」
「そ、そのような悠長なことを、言っておられる場合ではござりませぬ!」
「西村、まあそうカリカリするでない。どうじゃ、そちも茶を一服?」
「いえ、それがしは結構でござりまする!」
「ねえ、殿。芝居といえば、今月の半ばから西両国で、久しぶりに音羽屋の芝
居がかかるという噂でござります」
「奥は、江戸芝居には詳しいのう。さすが芝居好きじゃわ。はっはっは」
「殿? また、そっと御忍びで、観には参りませぬか?」
「おお、よいのう。…して、出し物はなんじゃ?」
「はい、なんでも『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうしはなのにしきえ)とか…」
「ほう、世話物か。それは楽しみじゃ。して、菊之助は誰がやるのじゃ?」
「もちろん、五代目団十郎でござりましょう」
「ふふふ、奥は、五代目贔屓じゃからのう」
「五代目の荒事和事の絶妙は、わたくし好み。今度、狐忠信(きつねただのぶ
)の衣装でも、真似てみとう存じまする」
「あの、宙吊りで着る、真っ白いフワフワの衣装をか?」
「はい」
「ふふふっ。…それを、誰が着るのじゃ?」
「もちろん、わたくしめにござりまする」
「……あっはっはっは」
「ほっほっほっほ」

(ダメだ、これは…)
家老の西村修衛門はあきれ返って、そそくさと殿様の居室から引き上げました。
(こうしてはおれん。それがしだけでも、なにか手を打たなければ…)
「これっ!? 誰かある!?」
西村修衛門の呼ぶ声に、家老付の山崎蒲田ノ丞が駆けつけました。
「ははぁっ!」
「組頭の、北村と上岡の両名を呼べ!」
「北村殿に上岡殿は、ただいま、小石川養生所のほうへお出かけでござります」
「な、なぜ、そのようなところへ参ったのだ?」
「はぁ、鼻血の出すぎで、具合が悪いと申されまして…」
「屋敷内に、御殿医の山田殿がいるではないか!」
「はぁ、山田様は血を採って、研究するばっかりで、ぜんぜん治療をしてはく
れぬと…」
「ええい、この肝心なときになにをしておる! …仕方がない! わが藩が誇
る剣術の四天王、佐川浩造と福田陶谷門、それに内田充太郎と上野亘左衛門の
四名を呼べ!」
「ご家老様、その四名は、ただいま行方が知れませぬ」
「な、なにぃ! 行方が知れぬとは、どういうことじゃ!?」
「ははぁっ。最近、屋敷内で、見た者がおりませぬ」
「ど、どこへ、参ったのじゃ!?」
「そ、それが風聞では、江戸市中の吉原か深川か、はたまた神楽坂の岡場所へ
入り浸ってるという…」
「た、たわけ者めが!! 即刻探し出して、連れ戻せ!」
「ははぁっ! し、しかし、どこを探せばよろしいのでしょう?」
「ええい、もうよいわ! 捨て置け!! 肝心なときに、みなそろいもそろっ
て、頼りにならぬ者ばかりじゃ!」
「ははぁっ!」
「この屋敷内で、四天王の次に腕の立つ者は、いったい誰じゃ?」
「はっ、それでしたら池田殿と岡本殿、それに細淵殿がおりまする!」
「一刻も早く、連れてまいれ!」
「ははぁっ!」

突然、池田征衛門と岡本淳蔵の両名が、家老に呼ばれました。細淵正之助は、
ちょうど非番で、釣りに出かけて留守でした。
(身に憶えのないこととて、ご家老に呼ばれ、お叱りをこうむりそうになると
は、先々代がタヌキを殺した祟りかも知れぬわい)
池田征衛門は、戦々恐々としながら出仕しました。
(う、浮世絵描きのバイトが…いや、裏稼ぎが知れて、お叱りかのう?)
絵の心得のある岡本淳蔵も、ビクビクしながらやってきました。

「…これこれしかじか、早急に千里姫様を江戸市中に探索し、即刻お連れ申す
のじゃ。よいな!?」
「ははぁっ!」
二人は叱られなかったのにホッとしたものの、大好きな千里姫が行方知れずと
聞いて、仰天してしまいました。
「よいか? これは内密にするのじゃぞ。まかり間違っても、ご公儀の耳に入
れてはならぬ! さすれば、上様からどのようなお咎めを受けるやも知れん。
よくて転封、悪ければ、三川藩自体の存続が危ぶまれる。…よいな? 心して
事にあたれ!」
「ははぁっ!」
「ところで、岡本。そちは、絵心があろう」
ギクッと岡本淳蔵が、肩を波打たせました。
「は、はぁ、多少はござりまするが…」
「先刻、承知しておるわ。そちは、浮世絵の元絵を描いておるではないか?」
「は、ははぁっ! お、怖れ入りましてござりまする! この上は、それがし
腹かっさばいででも、殿にお詫びをいたしまする!」
「これこれ、早まるな! とがめているのではない。そちの絵の才能を利用し、
姫君の似顔絵をこしらえて、早急に見つけてもらいたいのだ」
「は、ははぁっ! も、申しわけござりませぬ!」
「もうよい。それっ、早く仕事にかかれ!」
「お、怖れながら申し上げます。姫君様の似顔絵でござりましたら、すでに…」
「あると申すのか?」
「はぁっ、しばらく、しばらく、お待ちくださりませ!」
岡本淳蔵は急いで自室へ取って返すと、上質の和紙束を棚から掴み出しました。

「これでござりまする!」
「こ、この、無礼者め! 誰に断って、姫君様の絵などを描いておる!?」
「ははぁっ! も、申しわけござりませぬ!」
「こ、これは…!? …しかし、よく似ておられるのう!」
家老の西村修衛門は、絵を1枚1枚見ていきました。池田征衛門も、端から絵
を覗き込んでいます。全部で、それは100枚ぐらいありました。

「…これは、江戸表へ来られたばかりとき、十六歳のころでござりまする。ま
だ頬が、ぷっくりしていらっしゃりましょう? …これは、犬を連れられて国
元の浜辺で遊ばれる、十七歳の姫様のお姿でござりまする。…こちらは、汐留
の下屋敷で開かれた園遊会で、お琴を弾かれながらご自分の和歌を披露される、
二十歳の姫君様。もう、この紅梅色のお振袖の美しさは、他に比肩するものさ
えござりませぬ。…こちらは…」
「だ、誰が、絵の解説をしろと申した!?」
「ははぁっ!」
「して、どれが今の姫様なのじゃ!?」
「こ、こちらでござります!」
「ふ〜む、切れ長の大きな眼(まなこ)といい、言い出したら聞かれぬしっか
りしたお口元の形といい、そっくりじゃ…」
「それがし、ほんとうは髷姿の姫君様よりも、水髪(=ストレート)にされた
千里姫様を描いてみとうござりまする!」
「ふ〜む…」
「しかし、そのようなお姿は、湯殿かご寝所以外では…」
「…わしはのう、夕べの曲者騒ぎの中、水髪のお姿を拝見したのじゃ」
「な、なんと申されます!?」
「ミニクロウタとかいう、足を太腿まであらわにされた、お姿じゃったが…」
「な、なな、なんと! ご、ご家老様!!」
「……長生きは、してみるものよのう」
「え、描きとうござりまする!!」
「あの、市中で流行っておるとかいうミニクロウタに、北村も上岡も…」
「どうしてどうして、なぜゆえに拙者を、呼んではくださらなかったのでござ
るか!? 生涯、お恨み申し上げまする!」
「だ、黙れだまれ、たわけ者めが! なんの話をしておるのだ!!」
「ははぁーーーっ!」
「その似顔絵を何枚か刷って、両名はさっそく探索にかかれ! よいな!?」
「ははぁっ! かしこまりましてござりまする!」
「細淵も探し出して、この役目申しつけるのだぞ!」
「ははぁっ!」
池田征衛門と岡本淳蔵は、急いで家老の部屋を辞しました。

「それ、一枚、それがしに譲ってはくれぬか?」
池田征衛門が頼みます。
「ダメだダメだ、これはそれがしの宝物」
「では、五両ではどうだ?」
「なにを申しておる、五十両出しても譲らん」
「お、おぬしは、それを隠匿して、プレミアムが付き、値が吊り上ったところ
を売ろうとしておるのであろう!? ちまたの悪徳米商人(こめあきんど)と、
なんら変わらぬではないか!!」
「池田殿、そなたはなにを血迷った、わけのわからぬことを申しておるのだ?」
「………」
「これから浮世絵の版元へ出かけ、明日までに姫君の似顔絵を刷ってもらわな
ければ…。池田殿は、細淵殿を探してくだされ」
「…刷ったら、その一枚を、それがしに譲ってはくれぬか? な、岡本殿?」


    

(16)へつづく