ちかこ@目白・作

■『千里姫の冒険』(12)


(11)からつづく



「あ〜っ、きれいかぁ〜!!」
店開きしたばかりの小間物屋・藤井薩摩屋の前まで来ると、千里姫はハタと、
立ち止まってしまいました。さまざまな櫛や簪(かんざし)、端切れ、南蛮渡
りのギヤマン細工に江戸切り子、江戸硝子風鈴、ビードロなど、女の子が喜び
そうなものが、ところ狭しといっぱいです。

「うち、ここでぇ、道草すっと〜!」
「ひ、姫様、拙者は、もう腹がひもじゅうて、死にそうでござりまする」
木曽忍者が、うしろからグチりました。
「もう、馬酔いは治ったとねぇ?」
「はぁっ、もうすっかり…。ここはひとつ、朝餉のあとに見物されては…?」
「わ〜い、ウィンドウショッピングば、うち大好きだけんねぇ! 渋谷や新宿
で、よ〜くやっとっとぉ〜」
「……ひ、姫様も、人の話を聞かれん…」

千里姫は、どんどん店の奥へと入っていきました。
「ねえねえ、これ、うちに似合(にお)うとるぅ??」
店の主人に勧められるまま、簪をいくつも髪に挿してみせます。
「いえいえ、千里姫殿。拙者には、こちらがよいかと…。しかし、美しいお髪
(ぐし)でござるなぁ」
忍者姿の小林弘之進が、ちゃっかり千里姫の横へ腰掛けて、姫の髪をさかんに
いじっています。
「いやいや、姫様。こっちのほうが似合ってまさぁ!」
「あっしも、そう思いやす」
靖吉と正も、負けずに簪を選んでいます。
「こ、こら、寄ってたかって姫君に触るな、無礼者! 姫様には、拙者の選ん
だこれが一番でござる!」
木曽忍者も柄に合わず、簪を2〜3本、千里姫の傍に並べてみせます。

「♪決〜め〜た〜、沖縄の海にし〜よ〜。この琉球珊瑚の簪にすっと〜。…あ
れ? 1991年だと、まだこげな歌はできとらん。うっふふ、うち、舞い上
がっとるけん、カンベンしよらんねぇ〜」
千里姫は、髷の根に、真っ赤な珊瑚玉の簪を1本、カッシと挿しました。
「これ、いくらすっとねぇ?」
「はい、最近は奢侈禁止のお触れで、珊瑚玉が品薄でございます。したがいま
して、それは二両五分でございます」
主人の薩摩屋圭之介が答えます。
「うち、おカネ持っとらんけん、誰か払(はろ)うてくれんね〜?」
一同、シーーーーン…となってしまいました。
「誰もおカネ、なかとねぇ? 木曽忍者さん??」
「…ははぁっ、せ、拙者は、二十両…ほど、金子(きんす)の、持ち合わせが、
ございますが…」
「ほれほれ、ちゃんと持っとっとねぇ」
「…し、しかし、これはお屋敷からいただく、拙者の今月分の全給金で…」
「ごちゃごちゃ言わんと、うちの古今東西ん歌ば、あたの目の前で唄って踊っ
てぇ、ただで聴かせてあげるけ〜ん」
「…ミ、ミニクロウタのお姿で…でござりまするか?」
「ぬしも、たいっぎゃエーベックスたい!」
「は、ははぁ…」
千里姫は、もうどこから見ても小股の切れ上がった、江戸の粋な町娘です。



「朝ご飯が、食べた〜い!」
両国橋の西詰めで、ご機嫌な千里姫は叫びました。道行く人が、この奇妙奇天
烈な5人組を、指差しながら通ります。
「姫様は、なにを食べてぇんでございやす?」
靖吉親分が、両国橋の欄干に手をつきながら訊きました。ときに、大川の両岸
は、桜が満開に咲き誇っています。
「うち、ずーーっとお魚ばっかだったけん、久しぶりに肉が食べたかぁ」
「じゃあ、獣肉(ももんじ)屋へめえりやしょう」
「馬刺しがよかぁ!」
「馬刺しでもなんでも、ごぜえますよぅ」

さて、江戸時代は動物の肉を食べなかった…というのは、まったくの作り話で
す。両国、本所、深川、浅草、日本橋…と随所に、獣肉(ももんじ)屋すなわ
ち肉料理屋がありました。
そこでは、馬や豚をはじめ、猪、青鹿(あおじし=カモシカ)、鹿、うさぎ、
狸、鯨などが食されていました。食べなかったのは、運搬用や農耕用に貴重な
牛ぐらいのものです。(しかし、九州の一部では食べられていました)
もちろん、鶏や鴨、雀、鶫、鴫などの鳥類も食べています。そして、馬肉を初
めて刺し身で食べたのも、濃口醤油(=したじ)が発達した、江戸が最初です。

余談ですが、江戸の刺し身料理、寿司、焼き鳥、肉料理、天ぷら、混ぜ飯、丼
物、鍋物、重物、蕎麦料理などに見合う調味料、つまり“紫(したじ)”と呼
ばれる濃口醤油が発明されたのも、かなり早くからのことです。
この濃口醤油の発明が、江戸ならではの粋な食文化を、大きく花開かせる要因
となりました。浅草海苔を濃口醤油で煮込んだものを“江戸紫”と呼びますが、
本来“江戸紫”とは濃口醤油のことです。

この肉料理と、オリジナル調味料との長い伝統が、明治維新後になって東京名
物となる、浅草の牛鍋やすき焼き、日本橋の鴨料理、両国の猪料理、ついでに、
深川や銀座の天ぷら料理、浜町や深川のおでん、また東京各所の寿司や刺し身
料理へと受け継がれていきました。
今でも、たった1軒だけですが、両国橋の東詰めに、江戸時代からの“ももん
じ屋”は、そのまま営業をつづけています。

     

 (13)に続く